2015年12月28日月曜日

続けることの難しさ

 人というのは、何かがうまくいくと、すぐに有頂天になり、自分はなんでもできるし、これからもうまくいくと、勝手に暴走してしまう。人にもよるだろうけれど、独立してすぐに仕事がうまくいったりすると、危険な罠に陥りやすい。そういう人を見ると、さあ果たしてどれだけ長く続くだろう?と見てしまう。人生は意外と長いし、好調期というのは意外と短い。会社運営とて数年はうまくいっても、20年以上継続するのは、大変なことだ。会社を設立してもっとも大事なことは、人を雇用し、それを長く続けることなのに、それがそう簡単ではないことは、数多くの歴史からも学べる。しかし、人はたいがい、自分は違う。うまくやれると甘い予想をたてるものなのだ。そう、自分もそうだった。

しかしながら、自分の場合、順風満帆に仕事が受注できたなどということはまったくなかった。2000年の初めころ、サラリーマンを辞めて、独立して会社を作ろうなどと考えていたら、すぐに歴史的な出来事である9.11が起こり、それまで依存していたイベント仕事が干上がった。翌年の2002年日韓W杯時もまた、仕事がなくて困った記憶がある。この時期は本当に厳しい時期で、仕事の仕方を大きく変えた時期だったと記憶する。いや、しかしそれでも頑固な自分は、一度たりとも以前在籍した会社を頼ることも、先輩を頼ることもなく、自力で生きることを続けたし、それで駄目ならこの業界から消えようと覚悟していた。その頑固さが結果的によかったのかもしれない。

2007年に会社を作ってからも、まったくうまくいかず、 毎日が危機、そして挫折、自信喪失と苦しみというネガティブなことしかなかった。2008年にはリーマンショックが襲ってきたし、単に借金が積み上がるだけの毎日の中、絶望しかけていたのが2008年ころだった。確かに、新国立劇場さんへ機材を納品できたことなど、うちのような小さな会社にとって奇跡以外のなにものでもなかったと思うが、そうしたいい結果をうけてもなお、100年に一度という3.11の悲劇などが起こり、会社運営は一度たりとも、楽なことはなかったというのが本音である。

今、2015年が終わる直前で、さらに挫折というか、会社運営の難しさを体験しているけれども、逆に失敗の繰り返しだったから、慎重になったし、勉強もできたんだと思う。
独立した直後に、仕事がいっぱいあって、何もかもがうまくいっていたなら、危機が訪れた時、対応できなかったかもしれない。リーマンショックも3.11も100年に一度という危機だった。 それでも会社を維持でき、今、こうして生きているのは、ありがたいことだと思う。でも、若い人には、こういう話は伝わらないだろうと思う。自分がそうであったように、自身が生きる時代と人の生きた過去は異なる時間であり、自分はうまく立ち回れると考えるのが、きっと会社を設立したりするタイプの人の考え方かもしれない。失敗しても、自己責任だし、こういう話は人に話すことではないかもしれないだろうけど、自分が経験したことは、”続けることの難しさ” これにつきる。





2015年12月16日水曜日

情報の潮流変化(変わりゆく世界2)

 日曜日が確実に休日などということが、これまでに一度でもあっただろうか?きっと
それはサラリーマン時代からそうだが、元旦であろうとも、たとえ家族に不幸があろうとも、現場優先という価値観が、そうさせるのだと思う。 ある意味、舞台人であった頃からの強迫観念でもあり、生真面目が故に、過度に責任を感じることで発生する自虐というか、それが決して美徳ではなく、逆に人間性を破壊するほどブラックなことを百も承知の上で、しかしそれから脱することができない事が数多くの悲哀を生み出していると思う。

会社を始めた頃、輸入製品の販売という仕事に関わり、輸入代理店としてできる限りの対応をしようと情報を集めて、自分こそが、その製品をもっとも理解しているべきで、自分は、取り扱う製品のマイスターであるべきだと、考えていた時期があった。基本的に、商材の多くの情報を代理店は、もっているわけであり、 多くの場合、それは可能だろう。
しかし時にカタリストのように、開発者がユーザーと直結して開発をしていたり、数多くの知らないバージョンが代理店とは関係なく配布されていたり、開発者自身が販売代理店との関係を重要視しないスタンスだったりすると、それは不可能になる。

インターネットの進化は、自分が若い頃にみていた景色を一変させた。
海外の情報が一度、代理店でせきとめられ、フィルターを通してユーザーに届いたのも過去の話。今はユーザーにダイレクトに情報が届く。マニュアルも簡単に手に入るし、ソフトウェアは簡単に海を超え、世界中の才能ある人が、商品を開発し、世界で販売することも可能。もちろん、扱うものにもよるわけですが、情報を昔のように代理店がコントロールできる世界ではなくなっていると自分は思う。

今の時代、ほぼすべての電気で動く製品の中にソフトウェアが組み込まれ、そのソフトにはなんらかのバグがあったり、それをユーザー以外の代理店のような現場で使用しない人がすべてを発見できることはなく、数多くのソフトウェアに関する情報は、今はユーザー同士のコミュニティーにこそ存在したりするのかもしれない。これこそ、まさに自分がライティングボードネットワークというWEBで実現しようとしたイメージ。当時のライトネットワークのような情報のシェア(共有)だと思う。その意味で情報の流れも、また存在する場所も大きく変化しているのが今の時代なんだろう。

こうして、いろいろなものがソフトウェア化していく中、ときに妙な無力感を感じたりすることが、最近あるのは、自分のコントロールを超えた世界への気づきかもしれないし、自分が理解できなくなったことへの失望から来ているのかも。。





2015年12月14日月曜日

クラウドの波(変わりゆく世界1)

 ある飲み会での事、深酒をしたせいで、おそらく自分の中のさまざまな弱音が感情となって弾けてしまった事を、後になって後悔するあたり、自分は20代の頃から何も変わってないなと思います。自他共に認めるネガティブ思考なため、ちょくちょくネガティブ発言を繰り返すこともまた、自分の特徴だと思う。しかしながら、この仕事を始めて9年が経過するわけで、なんとかやってこれているのも事実。もうすこし自信をもちたいものです。

そんな9年の歳月の中、 ネットワークシステムがどうしたこうしたと、持論を訴え続け、そうこうしているうちに照明のネットワーク化だの、音響のネットワークが、当たり前の時代になり、イーサネットなどという単語を発することすら、気恥ずかしいほどになりました。本当に変化は早いものです。

こうしてコンピューターの波はエンターテイメントの世界にも波及し、レガシーシステムにこだわる人たちを、過去へと追いやるのはテクノロジーの進化過程で必ず起こってきた事象です。こうしてネットワークが当たり前になる事で、次に何が普通の感覚になるか?それが存在することが前提となったとき、何が発生するのだろうか?最近、そんな事をぼんやり考えたりしています。

ショー産業以外の一般世界において、ネットワークというと今、SDN(Software define network )や、IoTに夢中な印象ですが、それらは普通の視点で見ているとわれわれの世界には無関係に見えます。多くの場合、皆、こう言うのです。ショー産業の世界はほとんどが仮設の施工であり、クローズドなネットワークで運用するものであり、L2Levelからその先へ向かう必要性がない。故に、ある一定のところで進化は止まる。今の演出用ネットワークは、わざわざ一般の回線に接続する必要もなく、L3の領域は、ネットワーク屋さんの領域だろうと。

今のところ、概ね、自分も賛成な意見なのですが、最近、何か引っかかるのがIoTです。会社の社内業務も、ほぼクラウドシステムへの移行が進んでおり、このところのマイナンバー制度のせいもあり、クラウドでさまざまなデータを管理する事の必然性も出てきています。そういう現象を眺めていると、何もかもすべての機器がクラウドの海に接続されている事を感じて、そのうちに、SDNスイッチなんてものも、ショー設備の世界に浸透してくるのかもしれないし、なんてことを考えたり。。

特に設備関連で言う所のメンテナンスや、トラブル対応に関して、クラウドをつかって対応する方法がすでにあります。(専用のサーバーで運用する管理システムのサービス)Medialon社でいうところのロンクラウドなんですが、こういう仕組みというのは、施工した会社も助かるし、施主側から見ても、安心感があるようにおもいます。やがて、まったく関係がないと思われていたことが、この産業にもつながり、それが普通になっていくいわゆるイノベーションのジレンマは、どこにでも転がっているのかもしれませんね。