2015年12月16日水曜日

情報の潮流変化(変わりゆく世界2)

 日曜日が確実に休日などということが、これまでに一度でもあっただろうか?きっと
それはサラリーマン時代からそうだが、元旦であろうとも、たとえ家族に不幸があろうとも、現場優先という価値観が、そうさせるのだと思う。 ある意味、舞台人であった頃からの強迫観念でもあり、生真面目が故に、過度に責任を感じることで発生する自虐というか、それが決して美徳ではなく、逆に人間性を破壊するほどブラックなことを百も承知の上で、しかしそれから脱することができない事が数多くの悲哀を生み出していると思う。

会社を始めた頃、輸入製品の販売という仕事に関わり、輸入代理店としてできる限りの対応をしようと情報を集めて、自分こそが、その製品をもっとも理解しているべきで、自分は、取り扱う製品のマイスターであるべきだと、考えていた時期があった。基本的に、商材の多くの情報を代理店は、もっているわけであり、 多くの場合、それは可能だろう。
しかし時にカタリストのように、開発者がユーザーと直結して開発をしていたり、数多くの知らないバージョンが代理店とは関係なく配布されていたり、開発者自身が販売代理店との関係を重要視しないスタンスだったりすると、それは不可能になる。

インターネットの進化は、自分が若い頃にみていた景色を一変させた。
海外の情報が一度、代理店でせきとめられ、フィルターを通してユーザーに届いたのも過去の話。今はユーザーにダイレクトに情報が届く。マニュアルも簡単に手に入るし、ソフトウェアは簡単に海を超え、世界中の才能ある人が、商品を開発し、世界で販売することも可能。もちろん、扱うものにもよるわけですが、情報を昔のように代理店がコントロールできる世界ではなくなっていると自分は思う。

今の時代、ほぼすべての電気で動く製品の中にソフトウェアが組み込まれ、そのソフトにはなんらかのバグがあったり、それをユーザー以外の代理店のような現場で使用しない人がすべてを発見できることはなく、数多くのソフトウェアに関する情報は、今はユーザー同士のコミュニティーにこそ存在したりするのかもしれない。これこそ、まさに自分がライティングボードネットワークというWEBで実現しようとしたイメージ。当時のライトネットワークのような情報のシェア(共有)だと思う。その意味で情報の流れも、また存在する場所も大きく変化しているのが今の時代なんだろう。

こうして、いろいろなものがソフトウェア化していく中、ときに妙な無力感を感じたりすることが、最近あるのは、自分のコントロールを超えた世界への気づきかもしれないし、自分が理解できなくなったことへの失望から来ているのかも。。





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