2017年11月19日日曜日

モチベーションと情熱と、熱い言葉の強い相関関係への思い

 









 2017年のInterBEEが終わりました。
残念だったのは、私自身が、Luminexのブースに張り付いており、マイルランテックのブースに、全く立ち会えなかった事。。しかし、今や私抜きでマイルランテックが成立していることを、来場した方々は、実感いただけたかもしれません。

2008年、この展示会に一人で出展した時、初めてこの世界の一員になれたことに感動し、心震わした頃から、この展示会は大事な展示会であり、ここに出展できることのありがたさを感じていました。操業して以降、うちの社員にも、その事を共感して欲しくて、強く訴え続けたように思います。これまで、本当に自分なりに、お金がないなりに、工夫して続けてきた事。

社長の指示に、盲目的に従うのでなく、また昨年と同じ内容で展示をするのではなく、自ら頭を使うこと、考えること、工夫することの尊さ。それを伝え続けて、今、まさにようやく、それが実現したと思えるのは、この展示会について、2年続けて若い社員だけで企画し、社員だけで演出し、社員だけで営業をしたのは、紛れもない事実であり、その努力は、確実に実っていると言えるのです。これで、もしかしたら私は本当に過去の呪縛から解放されるかもしれない。一方通行の片思いによるストレスという呪縛

正直、私は熱いタイプの社長であり、時に鬱陶しいと感じられるかもしれない。そして、強いメッセージを社員に投げつけるし、それに呼応する社員が好きです。熱いメッセージを投げて、返ってこない、強いやる気が見えない人の場合、つい相手にするのを諦めてしまう。多分、ふてくされてしまう。間違いなく、面倒な社長だ。技術だけでなく、事務の仕事にも、同じような熱を求めてしまう。

でも、マイルの仕事の場合、感動するような情熱は大事だと思うし、情熱がなければ、このエンターテイメントに関する仕事は続かないと信じているんです。自分は会社の社長だけでなく、オーナーであり、自分が自分の会社で理想を追いかけて何が悪いだろう。自分の嫌いなタイプを集めて、お金だけを目的にする会社なんて、続ける意味なんてない。

自分が熱い思いを持たないで、人を感動させられるわけないじゃない? 熱い思いで、働いてるから、仕事が楽しいし、皆と仲間意識を共有できるんじゃないか?そうでしょう?そういうのが苦手の人もいるかもしれないが、そういう人は、あっさりした会社に転職した方がいい。情熱なんて必要ない、お金を稼ぐだけでいいという会社に。。そういう人は、絶対、うちには合わない。

熱いメッセージを受けて、強い思いで、仕事に関わってほしい。自分の頭を使い、考え、意見を出し合い、その中から感動を顧客に提案して、共感してもらって商品を買ってもらえたらいい。これはマイルランテックという会社の理想であり、社員には情熱、探求、洞察力を求めたいと今でも思うんです。

ただ、何度も頭で理解し、声に出すように、皆がそういうタイプじゃないこともわかるし、共感できない人も多数いる。だからこそ、自分は同じ感性の人を見つけるまで採用を続けるし、そうでない人には、会社を去ってもらった方が、お互いのためだということを訴えてきた。これから10年のうちに、また人は入れ替わるだろう。事実、この7年の間にも、人は数多く入れ替わった。いかに社員を採用することが難しいか、そしてその中からリーダーや右腕を見つけ、育てることが困難かを実感します。

私は、皆が一丸となって努力をするチームのような会社が好きです。そういう熱量のある会社で仕事がしたいと思う。しつこく熱いとよく言われるが、熱い言葉は、人の心に沁み入り、やがて時を経て、新しい熱を帯びて、また、別の人に伝わる。そしてそれが会社を動かす原動力になる。熱い思いと言葉と結果には相関関係があると信じる。

2017年11月7日火曜日

変化する指標

 

 歳を重ねた今だからだろうか?幼い記憶が、時折鮮やかに蘇ることがある。まだ私が幼い頃だった。人里離れた山へ遠足に行った記憶。よくある冒険とか探検という子供が憧れる類のものだ。当時、廃坑となった銅山の鉄道が街中に残っており、これをつたい、簡単に山深く入ることができた。まるで映画のスタンドバイミーのような体験だった。

子供の足ではかなりの距離だったが、野イチゴを食べたり、家から持ってきたお弁当を食べたりしながら、延々と続く錆び付いた線路を歩き続け、気づいたら山の中に不自然な大きさでたたずむ廃駅にたどり着いた。構内は広く、数多くのレールがさらに山深く消えており、それらは未だ手つかずのままそこにあって、広いその敷地では、おそらく山から下りてきた荷物が仕分けされていたであろう形跡が見て取れた。記憶では駅というより1つの町に感じたほど広大で、古めかしいけれど立派な駅舎が立ち並び、窓から覗く内部には、当時でも、年代を感じさせる食器用洗剤、ポスター、食器類、時計、机や戸棚などの家具類が、そのまま当時の雰囲気と共に保存されており、まるで今にも時間を遡り、動き出しそうなほど。。。駅は静まり返り、まるでここだけ、時間が止まって、この空間だけを密封し、一瞬にして人が消えたかのような空気が漂っていた。

この大きな駅の跡地は、今思うと、その昔、興隆 を極めた日本を代表する住友鉱山の採掘場に関連して存在した駅であり、トロッコが終着するターミナル駅だと想像できる。ここから海へ向かう貨物列車が鉱石を運んでいたのだろう。線路の途中には数多くの銅鉱石が散乱しており、それら石を割るとブルーグリーンの美しい色彩を放つ銅鉱石が確認できた。なぜ、自分がそれを知っていたか、覚えていない。ただ、それは綺麗で、自分は銅の原石だと認識していた。そんな銅山の繁栄した時代の名残。

私がそこを訪れた時には、その駅を中心に存在した街は、ほとんど人も寄りつかない遺跡のような存在になっていた。今思うと昔は華やかであったろう1つの街が、山の中に忘れられたかのように残され、鉱山の採掘という仕事のトレンドが終わりを迎えた故に、置き去りにされ、忘れ去られたその街の悲哀を感じてしまう。

そんな広い駅構内を探検していた時、何気に、駅舎の間に横たわる線路に立ち、今、来た道を振り返ると、延々に続くレールの先に、もし列車に乗ったとすれば、眺めることができたであろう線路と平行して流れる渓谷がわずかに見えて、湾曲した線路の先が、遠く街へ続く車窓の景色をイメージさせたが、そのレールの先に、すでに未来がないことも知っていた。錆び付いたレールの上に枯葉が転がり、その先のフェンスと、ただ静寂に包まれた山間の風景が、ただ悠然とそこにあって、何かの終わりを見た気がした。

いつの時代も、華やかな時代は未来永劫には続かず、その鉱山の跡地も、すでに過去の形跡でしかなかった。いつの時代もトレンドは変化し続ける。ゆえに追いかけるべき指標もその姿を変え続けるのである。それを理解していれば、いつまでも同じ仕事で生きていけるわけもないことは明白である。変化しつづける意思が生存を決める。

今、成功しても、未来に失敗すれば意味がない。成功し続けなければ、やがて時の流れとともにそれらは古びていき、ノスタルジックな色彩をまといながら、風に吹かれて砂のように舞い散るだけなのだ。今ある常識は未来の常識ではない。我々は、常に新しい指標をみつけ、向かうべき方向を再認識すべきなのだ。しかし変革を続けることの困難さは、とてつもなく重くのしかかる。これまでの成功体験が自分自身を強く縛り、自分の置かれた環境が、新しい道へ向かうのを妨げるのだ。

しかし、時代が変わり、価値観が変わり、人が入れ替わる。こうした流れの中で、一人それに抗うことなどできはしない。過去に固執せず、これまでとは異なる視点で新しいことを始めなければ、美しい光彩を放つ鉱石とともに森深く埋もれて、やがて誰からも知られることなく、存在価値が失われるだけなのだ。

たとえ過去を捨ててでも、新しい道へ歩みを進めるしか生き残ることはできない。その先に暗雲が待ち受けているとしても、歩みを止めることはすなわち、自ら終わりを選択するというだけである。。ただ、シンプルに変化し続ける時代に対応するしかなく、追いかけるべき指標を見つけることしか、他に方法はない。今、自分はそういう選択とともに苦しみ、創業から10年を迎えた会社に、新たな価値を見つけようとしている