2019年11月10日日曜日

古いマインドセットの変更タイミング

 最近、非常に漠然と自分の考え方が変化していることに気づいている。
タイトルにあるマインドセットとは、自分の持つ価値基準、常識に基づいて形成される考え方や行動を指しており、自分の思考様式そのものという意味で用いた。それが最近になって、変化を起こしているのは、やはり環境の変化だと思う。

  • 過去の自分を捨てたこと
  • 自分が中心にいないことを受け入れたこと
  • 自分の役割の変化に気づいたこと
  • 新しいビジョンや夢
  • 働くということの意味を捉え直す(個人の時間を持つこと)

 過去というのを、これまでの自分と言い変えると、これまでは、過去の経験に依拠した自分がいたと思う。それは、もちろん過去に積み上げた自分の資産があり、それこそが自分のアイデンティティーであって、そう簡単に捨てるのは難しいものだ。それを捨て去り、
自分が舞台に関わっていた時期は遠い昔として、今は違うと再認識し、過去の遺産と決別できたのは、劇場という分野からの撤退があったからこそ実現できたように思う。

2つめの、自分が主役でないことを受け入れるという点では、会社を経営していて、社長という立場について、強く中心に関わらなければ、気が済まない時期があるが、それを完全に人に渡し、そこから距離をおいて、自分が主役でない状況に持って行くことで、会社は自分から独り立ちする。それは個人商店からの脱皮に近い。そうした上で、自分が会社に果たす役割りの変化を受け入れることができる。いや、新しい役割りを見つけることになる。それが会社組織を作るということなんだと思う。

これら変化があって、ようやく自分は自分なりのビジョンや夢を描くことができ、新しい会社のあり方に意識を集中できたような気がする。この変化は仕事への関わり方だけでなく、働くとことの定義にも影響を与える。創業時というのは、身を削って我慢を重ね、まるで僧侶の苦行のような経験を経なければ、会社が存続し得ないような時期もあり、それゆえ、多くの時間を会社に捧げることになり、その行動様式が常態化する。しかし、果たしてそんな生き方が幸せなはずもなく、またそれによって得られるものが何もないことを実感している今、働くことの意味を改めて問い直している。

大昔、30年以上も前は、世の中は常に便利さ、快適さが不足していて、もちろんエンターテイメントも不足しており、新しいものを供給するだけで、世界は回っていた。よく言われる右肩上がりなどという言葉に表される継続的な成長が自然と感じられ、がむしゃらに働くことで、より鮮明に結果を享受できた。ゆえに顧客の無理難題にも耐え、過剰なサービスをできる限り安い金額で提供し、それを提供する側の働き手たちが犠牲になって生み出していた。世に中は多様性がなく、皆が同じ方向を向いて、似た価値観という空気に飲まれ、皆、一様に同じ働き方をしていた。

今はどうだろう。果たして皆が充足感なく、何かが足りてない状態にあるだろうか?皆が同じ共通の趣味に興じる時代だろうか?過労と成績に比例した結果があるだろうか?
昔と今は違う。無理して働いたところで、がむしゃらに営業をしたところで、商品が売れることはないし、今のこの瞬間の空気に飲まれ、春を謳歌している気分に浸っても、まもなく暗転が訪れる。これ以上の成長など、そう簡単に望めない時代になったのだ。

社会は多様化し、世の中の仕組みは、劇的に変化し、既存ビジネスが急速に色あせている時代だ。私が関わる輸入販売代理業など、遠い昔に、古びたビジネスになったのだと、強く感じる。否、そんなことは遠い前から気づいているし、そこから早く脱出したくての、ショーコントロールソリューションというビジョンがあったはずだが、自分が到達する前に、それすらも、陳腐化したのだと思うと、ああ、もう10年が過ぎたんだと目を細める自分がそこにいる。

今やマイルランテックには新しい役目が必要だ。今のビジネスを行いながらも、やはり新しいことに目を向ける必要がある。だからこその2.0なのだ。それはこれまでの歩みとは劇的に異なるものになるはずだ。我々は、まさに大きな変革の時を迎えている。自分は、これを乗り越え、新しい道を切り開く役目を担っている。これほどエキサイティングな仕事はない。だからこそ、今もこれまでも、自分の会社の最終決定を自ら行い、CEOというポジションを楽しんでいる。これほどの興奮がなければ、会社経営など、苦痛以外の何物でもない。やはり会社経営は変化を起こし、幾つもの試練を乗り越えていく工程が楽しいのだ。さあ、新しいセイルを張ろう。大きな海原へ