2021年8月25日水曜日

舞台との出会い。そして別れ

 

 今から20年以上前、照明オペレーターとして参加した演劇の1シーンを思い起こすとき、自分の原点とも言える当時感じた感動を非常に明確に思い起こすことができる。

その劇中、主人公が一人残され、夫を死に追いやった自責の念に駆られながら同時に大事なパートナーを失った喪失感により、感情的になるシーン。唯一自分の理解者であり、自分を尊重し、愛してくれる人物が目の前で失われる残酷さ、そしてその愛する人が彼女と結婚してからも思い悩んでいた事、詩(歌)をつくることで、彼女の生まれ育った国(世界)の文化を理解したいという思いが、皮肉にも死ぬ間際に結実する。

”男”は崖から落ちたあとの川の中で、彼女を思う気持ちを歌にしてよみあげ、気づくのだ。いま、ようやく自分の心から湧き起こる感情で詩(唄)が生まれた。これでようやく、自分も"人"になれたと感じると同時に、自分が死んだ後の妻を誰が守るのか?障害のある彼女を理解し、守れるのは自分しかいないのにと、主人公の彼は、その詩を唄いながら無念を噛み締めて、波間へと消えていく。残された ”彼女” は、彼の思いを強く感じるからこそ、押しよせる激しい悲しみに打ちひしがれての激しい叫び、その後の静寂。。孤独な想いをつづる彼女の悲しい唄が一人ぼっちの舞台を虚しくさまよう。そういう劇的なシーンだった。

当時、どこにでもある中学校の体育館に作られた仮設舞台を前に、その演劇のシーンに、子供たちが息をのみ、心震える悲哀のシーンによって、静寂に支配された空気が、それぞれの感情で美しく色鮮やかに染まる様を目の当たりにした私は、舞台芸術の力に衝撃を感じたことを、強く記憶している。それこそが私に舞台産業との関わりを継続させたただ1つの理由だ。素直に舞台に感動したのだ。

それはオペラという芸術により、小さな村で起こる悲劇を、”さる”と人間という2つの世界を比喩に、差別という人間の醜い行為がいかに醜悪で、人間はそれを克服できるはずだと。しかし現実世界はそれを否定し、我々は黄泉の世界でしか、平等を認め合えないのだろうか?という深いテーマを子供達に投げかけた文化事業だった。作曲家の三木稔氏によるアジアの楽器だけでオーケストラを形成したアンサンブルもまた美しいオペレッタスタイルのお芝居だった。

うたよみざる 

田舎の中学校などを劇団が訪問し行う舞台芸術鑑賞事業は、遠い記憶をたどると、田舎育ちの私も同様に体験した記憶がある。確かに当時、私も初めての観劇は、こうした演劇鑑賞教室だったように思う。当時、芸術劇場などの施設は、田舎にはまだ多くはなかった。おそらく当時の文化庁もまた、それを差別撤廃、特に同和教育を行う上で1つの強い影響力として選択したのだろうと想像する。しかし、それを日々のルーティンワークとして行っていた若き日の自分には、この仕事がどれだけ重要な意味を持つかを知る術はなかった。しかし、先の劇的なシーンに感動した子供たちが涙する姿を目にしたことで、自分の中で、何かが弾け、そのことが私の人生も変え、今に至るのだ。

仕事というのは、強い衝動、目的意識があるべきだと思う。お金のために、利益のために働くというだけでは長く継続など、できはしない。私は劇場や舞台芸術に関わりたかったのだ。やはり文化に関わる仕事、人を感動させる仕事はおもしろい。可能ならいつまでも関わっていたいと強くそう思った。

たとえ舞台に直接関わることをやめてから、もう長い年月が経ち、特に自分の会社を設立してからの15年間、輸入卸という業態で劇場のネットワークシステムの提供という、芸術からは程遠い技術的な仕事だとしても、そこに関われることは、先の演劇のシーンで感じた感動を提供する人たちが働く場所に貢献しているというだけで、誇らしい気持ちになれた。昔、フランスのオペラガルニエを訪問したときにも、そこで働く人たちは、たとえ清掃の仕事でもオペラガルニエで働いているという誇りをもてると聞いた時に、同じく私も劇場や舞台に関われれることは、文化に貢献しているんだと自分に言い聞かせていた。

今、私は2019年から始まる業態変更の最中にいる。2020年に始まった世界の大変化の時代になり、自分の人生も大きく変化したと思う。どこかで終止符を打つべきであった事、年齢的にも自分の現在の立場においても、結果的に多くを失い、孤立してしまったことなどを考えると、2020年の大変化の号砲は、自分にとっての人生のリセットタイミングであったかもしれない。今まさに舞台産業への関わりという1つの時代が終わり、新たな道を歩むべきところに来たのだろう。今はただ、ありがとうと舞台産業にお礼をいいたい。そして私をすばらしい世界に導いてくれた照明デザイナーの高山氏に心から感謝の気持ちを捧げ、私は新たな目標へ向けて歩んでいく決意をしたい。この文章を書きながら自分を育ててくれた舞台産業との別れを明確に意識し区切りとしよう。

新しい世界、それは自然との調和を目指した世界、人と社会に貢献する事。どうやれば自分が社会に役立つだろうか?常に自問自答している。会社の規模や組織などどうでもよいし、業界内での自分の立場や人からどう見られるかなど、ほんとうにくだらないこと。自分を憎む、悪く言うような人々と無理して関わる必要などない。ときに人間関係はリセットするタイミングがあっても良いと自分は思う。仕事も同様に、いやなら続ける必要などない。いまは自分の幸せを追求し、自分が役に立つ場所、求められる場所へ向かうときだと思う。


 

2020年10月12日月曜日

事業転換のきっかけ

  2019年に私はマイルランテックが10年かけて育てたビジネスであるLuminexとエンタメ産業のL2ネットワークに関する事業から完全に撤退した。これは当社が行ってきた劇場の照明インフラ構築とサポートを、当社自身、継続していくだけの力がないという判断でもあり、また劇場の方々からのご指摘が強く肩を押したことが大きな理由です。

さらには、いまや音響業界にまで広がったLuminexビジネスを、今後も継続して育てていくとき、Luminex社は、私にLuminexだけに専念してほしいという強い思いがあり、彼らからしてもマイルランテックは邪魔だったのだろうと思う。だからこそ、マイルランテックを切り離すべきと、決断を迫ったのであり、その意味で私のマイルランテックは国内の顧客からも、製品供給者であるLuminexからも、見切りを付けられたと言えるのではないだろうか?そのとき、わたしは潮時であると腹をくくったのだ。

このような状況が発生することは、もちろんずっと以前から想定していたし、そのための準備もしてきたつもりだが、この問題をソフトランディングさせるべく、必死になっていた。しかし最後の一撃となるさまざまな問題が、2019年2月に起き、これを起点に、この決着はハードランディングへと急激に舵をきった。

これは悪夢としか言いようのない変化だった。なぜならマイルの事業はすべてLuminexを中心に作り上げたものであり、それを置き換えるべく動いていたショーコントロール関連事業は、すでに崩壊していたからだ。しかし、変化の波は急激に成長しており、待ち時間はのこされていなかった。はやくこの問題に決着をつけ、新しい道へマイルを導かねばならない。その一心で、この激しいトランジションを実行していった。

2020年9月、マイルランテックは、一部のワイヤレス製品を除き、これまで販売した様々なネットワークインフラに関わる消耗品、イベント産業、舞台産業向けの消耗品の販売を終了とし、今後も舞台やイベント産業に関わる製品の開拓は行わないと決意し、会社の事業そのものを大転換することを決定しました。これは舞台産業からの撤退といっても過言ではない、照明家協会、劇場演出業界からの離脱、これまで慣れ親しんだ産業から、追われるように私は、マイルランテックという船の舵を大きく変更した。その多くがLuminexJapanという新しい企業に道をゆずった結果に起こった大転換である。マイルランテックはあきらかにLuminexという企業の犠牲となり、その関係が壊れるに合わせ、舞台産業からも引退することになった。

ある面では吹っ切れたという気持ちもあり、ある面では寂しいという思いもある。しかし、この2020年に起きた世界の変化は、多くの企業にその生き方の変更を迫るものではないだろうか?マイルランテックに価値がないなら、生きることは許されないだろうし、価値があるなら、来年もまだ生き残るだろう。これは正念場なのだと思う。自分はマイルランテックという船とともにこの航海をのりきってやろうと考えている。そこには舞台産業としての側面は薄くなり、新しい道を探る自分たちがいる。

 


 

2020年10月1日木曜日

オンラインショップの廃止

 9月30日をもってMRTE (MRT Equipment)というサイトを閉じた。

2016年ごろから始めたオンラインサイトで当社製品を販売するアイデアは、商品内容の貧弱さと、特殊性から、まったくこの手の商売に適合せず、今年、他社がオンラインショッピングサイトを新たにオープンする中にあって世間のながれと逆行する行為だけれども、Workしないものをもっていても意味がない。今後の当社の仕事を鑑みても、改めてこの産業の小物販売については、撤退して正解ということになるだろう。

そもそも、Luminex製品の取り扱いを辞退して以降、舞台産業に適合する商材がなく、少額の多様な製品を扱うには、当社の商品特性から言って、あまりにオンラインショッピングサイトというのは、不一致特性と言わざるを得ない。そもそも、商売の仕方が変化したのだから、昨年の時点であきらめるべきだったと痛感している。

2007年からスタートしたマイルランテックと私の事業については、その多くが失敗の連続だった。照明のオペレーターから始まった仕事はいつしかトレーニングやエデュケーションへと変わり、インテグレーターから輸入卸業へとつづいた。前半の事業も失敗だったが、輸入卸に関わってからも、数多くの商品で失敗を重ねてきた。うまくいったことなど、ほとんどないと言っていい。

中小のマイクロカンパニーの社長なんて、商店街の個人事業とほぼ同じだろうと揶揄され、経営なんぞわかりはしないとか、買って欲しければ頭下げろとか、 販売好調になれば、金もうけしやがってと、何をしようとも評価もされず、感謝もされず、リスペクトされないばかりか、社員からまで、酷く軽蔑される仕事になんの意味があろうか?と何度も挫けそうになりながら、13年を生き抜いてきたけれど、その期間、確かにすべての経営計画は失敗の連続だった。

大成功するような人というのは一握りだろうし、私のような事業を選択する人は、最初から選択がまちがっているとも言えるし、いやしかし、それでも夢をもってつづけてきたのだが、今年2020年の大リセットを迎える状況では、自分の無能さを自覚せずにはおれない。

オンラインサイトの閉鎖だけでなく、これから、さまざまな変化があるだろう。その1つ1つが自分の事業家としての選択であり、もし、これからやってくる大不況、大リセッションを生き抜ければ、私は事業を守り抜いたことを誇りに思えるだろう。

大会社に勤めていなくても、すばらしい実績や輝かしいバックグラウンドなど、もっていなくても、小さい規模だろうが、ゼロからスタートし、それを20年守ることができたなら、ましてやリーマンからつづく大不況の不利な社会情勢に何度も見舞われながら、存続したなら、それ自体、誰がマネできるだろう。

 

 

 

デジタルシフト

もう10月、まるでタイムワープしたかのように、夏の記憶がないのは、今年の夏は特別というより、特殊な夏になったのだ。その意味では2020年の夏は喪失感と異質感を混在させた記憶として、心にとどめることになるだろう。

今日は少し雲が多く、午前中は雨音も聞こえていたが、午後からは、ここちよい空気と秋空の広がる東京の風景が見渡せる。今では、東京の街中も今夏の特殊感を覆い隠すかのように、何事もなく忙しい雰囲気があふれ、駅もレストランもなにもかも、以前の賑わいがもどったように思える。唯一誰もが着用するマスク姿の特殊な光景をのぞいて。。

以前は連日、感染者数の話ばかりがニュースとして流れてきたが、今では、人々の関心は政治や経済など別の方面に入れ替わっている。とはいえ、社会全体で共有する空気は、いまだ密を避けて、感染防止を行うことが日常という状態。イベント産業においては、人数を制限しながら徐々に再開という方向性があるものの、以前のような活況に戻らないことは明らかだ。 やはり、我々は何か新しい形のエンターテイメントを模索すべきだろうか?また、いわゆる日常はいまの姿が、新しい日常として受け入れられていくのだろうか。おそらく当分はそうなるだろう。

これこそ社会の変容というもので、この新しい形を受け入れて、なじむしかないというのが、自分の考えで、企業も同様に、これまでの事業活動のすべてを、どうオンラインへと切り替えていくかが必須となる。では、どうやってオンラインで活動していくのか?具体的に何をしていくべきか?そう、それがこの数ヶ月間の私のテーマだったし、これまで実行してきたように、オンラインセミナーやYoutube, オンライン展示会、広告など、ありふれているけれど、こうしたアクティビティーを積極的に行うのが自分の考えるデジタルシフトだった。

ところが、多くの企業が同じことを考えているため、展示会にしても、ズーム会議にしても、皆同じような選択しかなく、独自色を出していくのは難しいし、自社と潜在的顧客とを結びつける方法は、依然として限定的と言わざるを得ない。世界中で、デジタルトランスフォーム が叫ばれる中、これからはすべての社会活動がオンラインに紐づいていくのだろう。契約書、商談、展示会、会議、テレワーク、ショッピング、エンターテイメント、通貨、認証、教育、医療、自分の周りにあるすべてのことがオンラインになっていく。この変化は不可逆なものになるのは、間違いない。

3月からつづいているこの悩み、マイルランテックは、これからどんな価値を提供していけばいいのか? この答えがでないまま、当社もデジタルトランスフォーメーションの波に今も、巻かれつづけている。

 


2020年5月31日日曜日

潮目の変化


 長い自粛期間が終わり、この二ヶ月におよぶ自粛効果は、本当にあったのか?おそらく、そろそろ検証が行われるだろう。そして世界中で言われているように、日本は異次元的に緩いロックダウンでも、ほぼ感染拡大を抑えられている上に驚異的に死者が少ないことは事実であり、誰もが思う果たして緊急事態宣言は必要だったのか?という疑問が大きく首をもたげてくるのである。 しかし、既に潮目は変わってしまった。。

東京都のロードマップでは、6月19日以降を目指して、1000人規模のイベントなどが行えるようになる上に他県への移動も制限がなくなるというが、それは決して元に戻れるということと同義ではない。この感染症による新しい生活スタイルは、既に植え付けられた恐怖感と日本国民独特の同調圧力により、そう簡単に以前と同じに戻りはしない。この状態は、長期視点で見るべきだと誰もが感じていることだろう。

より大きな問題は、感染症による生活スタイルの変化ではない。これはあくまで新しい世界、ゲームチェンジのトリガーでしかなく、ワークスタイルの変化、東京都心から地方への移転の加速、イベントやエンターテイメントの再定義、企業の営業活動のオンライン化、インバウンドから国内需要へのターゲット変更、グローバリゼーション断絶による企業戦略の見直しなど、パラダイムシフトが加速するのが、馬鹿でもわかるくらいに明確になっている。元に戻るどころか、全く異なる常識、ルール、ワークスタイル、生き方、全てが変化を加速させている上に、オンラインへの過度な依存が強まっているというのが現実である。もう今までの仕事の仕方も、考え方も通用しない。

こうした中、小さいながらも、自分の会社を持つ身としては、どうやって自分の会社を存続させるか?というテーマに取り組んでいるが、既に3月の時点で、私はこの問題は短期で解決することはないと確信していた。日本国内において、感染拡大を封じ込めたとして、どうやって他国と人的交流を行うのだろう。すでに先んじてコロナの封じ込めに成功した各国も、第2波の可能性は否定しない。その意味でも、この問題はすでに長期化が確定しているのである。海外への渡航は長期間不可能、国内でも大規模なイベントは長期間、行うことができない。そして人のライフスタイルは大きく変貌した。

ワクチンの開発や重篤患者への特効薬など、医療による新たなソリューションで、この問題は年内にも沈静化するという声もあるが、たとえ症状改善と治癒の手法が見えてきても、多くの人の意識に、ここまで強く、すり込まれた恐怖や人と密接に関わる抵抗感を払拭するのは難しい。さらには新たなタイプのウイルスが蔓延する可能性を意識すると、どうやっても、元の日常に戻れないのは、容易に理解出来る。。現在の状況は、この問題の長期化の入り口であり、社会が新たな形に変化していく過程の入り口にすぎない。

この絶望感の破壊力は凄まじい。4月と5月だけでなく、夏場もかなりの確率でイベント等は自粛であり、今年一年は、この状態が継続するのだ。確かに一時的な緩和はあるだろうが、断続的に自粛と緩和を繰り返しながら、今年一年はこれを継続するしかない。しかし、その間、大型イベントなどを開催するイメージができるだろうか?そしてオリンピック中止ともなれば、来年もこの状態が継続する可能性がある。オリンピック中止と言うのは、日本の経済にとどめを刺すほどのインパクトがあるだろう。景気は悪化どころか、ボトムに沈むことは、誰でも想像できる。果たして、来年、この状況で、華やかなイベントやエンタメの仕事があると想像できるだろうか?来年は、311と同じくらいに、経済がシュリンクした一年になる可能性は高い。すでに世界的に見ても経済への打撃は瞬間的にも凄まじい。まだ高いポジションを維持している株価が2番底へ向かうのはあり得ると思う。

この悲惨な状態の中、3月ごろに話をした照明さんが、一年くらいは収入がなくとも継続できると、豪語していたが、もし2年継続したら、いや、数年間、今までのような仕事がなく、これまでの業界そのものが蒸発するとしたら、そう楽観的に構えていられるだろうか? 自分の仕事だけでなく、場合によってはインバウンドの観光業のように、業界ごと蒸発する可能性だってある。それがゲームチェンジ、社会全体の価値観の変化、パラダイムシフトという状態なのだ。これまで普通だったことがそうではなくなる。その変化の津波に、どう対応するのか?これが経営者に求められる挑戦である。

先に書いた通り、私は3月の時点で、この問題が長期化になり、自分の会社に大きな事業転換が必要になることは想像していた。実のところ、昨年からすでに、当社は事業転換を進めていたこともあり、新事業への転換そのものは、想定内だが、まさかここまでそれを、加速させることになるとは思わなかった。これを推し進めることにより、既存顧客のサポートや製品提供も継続することが可能であり、一時の痛みより、重要なことは存続することだと自分は思っています。今後、マイルランテックは、これまでお付き合いのあった皆様から見るとイメージしにくい事業に見えるかもしれませんが、何卒、ご理解いただけたらと思います。まずは存続が優先です。




2020年3月21日土曜日

未来へ向けて前進するマイルランテック

 2020年、誰もが信じて疑わなかった輝かしい年、オリンピックイヤー、そして日本経済も、いつか闇を抜けて上昇するのだと思っていた理想的にブリリアントな年は、一瞬にして暗転したと言っても過言ではないだろう。世界は得体の知れないVirus によって暗鬱なトーンに支配され、経済はリセッションへと舵を切っている。株価は大暴落をし、出口の見えない永遠とも言えるイベントの自粛や国を超えた人の移動のロックアウトによって、経済活動がほぼ停止に近い状態を余儀なくされている。

昨年の今頃、その時点で、もちろん誰もこんな悲惨な世界をイメージすることなどないでしょうし、当社もこのような時代が突然、やってくるとは、全く想像だにしていませんでした。故に2019年4月、当社はLuminexとの決別を経て、大胆な経営方針の変更を行いました。それは、マイルが歩んだ12年の役割を捨て、社員の入れ替え、そして舞台照明産業からの撤退、劇場産業からの撤退であり、それに代わり、改めて、映像製品を活用した映像産業への業務強化、インバウンド向け製品の提供など、基本的には、創業当初のアイデアに近いものですが、これまで歩んだ道とは、明らかに異なる分野へ進み、その分野にのみ、注力することを決定していました。しかし、このコロナショックという環境変化は、当社に対し、さらなる変化の意思決定を迫るものであり、当社としては、再度、自社のあり方について、真の意味でその存在価値の再定義、存続するための継続性を持った事業への転換を検討せざるをえない状況になったと感じています。

 当社は、おそらくは多くの方々の間で、今も舞台照明関連の企業というイメージが残っており、またイベント映像向けのメディアサーバーの企業というイメージもかなり浸透してきたのではないかと思います。しかしながら、まず当社は照明産業との接点は、ほぼワイヤレスDMX製品のみとなり、これ以上舞台照明に関わることは、今後もないと判断したことで、今の状況におり、今後もその世界に戻ることはないでしょう。今にして思うと、やはりルミネックスとの関わりのみが、マイルにとって照明産業との接点だったと感じています。そしてイベント映像分野においては、Modulo Pi製品の販売継続を持って、その責任を果たしつつも、おそらく、このコロナショックは、当社が、これまでと同じ形で続けることへの限界を与えるインパクトになったと感じています。

 今回のコロナショックは、3月の今の時点では、イベント産業や外食、インバウンドなどサービス産業を直撃したものでしたが、今後、このショックは長期化に伴い、さらに様々な産業に拡大していくでしょう。そしてオリンピックが絶望的となった時、そのインパクトは相当なものとなり、当社も映像メディアサーバーだけで存続していくことは、困難になることは明白です。かなり悲観的かもしれませんが、間違いなく、もうこの世界は元には戻らないでしょう。これは新しい価値観、思考への転換が必要な試練なんだと思います。このような世界の枠組みが大きく変化する転換点において、事業オーナーには、新たな決断、新たなアイデアの実行や会社の方向性の転換を決定することが求められると思います。今後、以前から取り組んでいる第2創業の改革を、再度、定義し直しながら、昨年とも異なる視点で、改めて自社の事業再編に取り組んでいくつもりです。

2019年11月10日日曜日

古いマインドセットの変更タイミング

 最近、非常に漠然と自分の考え方が変化していることに気づいている。
タイトルにあるマインドセットとは、自分の持つ価値基準、常識に基づいて形成される考え方や行動を指しており、自分の思考様式そのものという意味で用いた。それが最近になって、変化を起こしているのは、やはり環境の変化だと思う。

  • 過去の自分を捨てたこと
  • 自分が中心にいないことを受け入れたこと
  • 自分の役割の変化に気づいたこと
  • 新しいビジョンや夢
  • 働くということの意味を捉え直す(個人の時間を持つこと)

 過去というのを、これまでの自分と言い変えると、これまでは、過去の経験に依拠した自分がいたと思う。それは、もちろん過去に積み上げた自分の資産があり、それこそが自分のアイデンティティーであって、そう簡単に捨てるのは難しいものだ。それを捨て去り、
自分が舞台に関わっていた時期は遠い昔として、今は違うと再認識し、過去の遺産と決別できたのは、劇場という分野からの撤退があったからこそ実現できたように思う。

2つめの、自分が主役でないことを受け入れるという点では、会社を経営していて、社長という立場について、強く中心に関わらなければ、気が済まない時期があるが、それを完全に人に渡し、そこから距離をおいて、自分が主役でない状況に持って行くことで、会社は自分から独り立ちする。それは個人商店からの脱皮に近い。そうした上で、自分が会社に果たす役割りの変化を受け入れることができる。いや、新しい役割りを見つけることになる。それが会社組織を作るということなんだと思う。

これら変化があって、ようやく自分は自分なりのビジョンや夢を描くことができ、新しい会社のあり方に意識を集中できたような気がする。この変化は仕事への関わり方だけでなく、働くとことの定義にも影響を与える。創業時というのは、身を削って我慢を重ね、まるで僧侶の苦行のような経験を経なければ、会社が存続し得ないような時期もあり、それゆえ、多くの時間を会社に捧げることになり、その行動様式が常態化する。しかし、果たしてそんな生き方が幸せなはずもなく、またそれによって得られるものが何もないことを実感している今、働くことの意味を改めて問い直している。

大昔、30年以上も前は、世の中は常に便利さ、快適さが不足していて、もちろんエンターテイメントも不足しており、新しいものを供給するだけで、世界は回っていた。よく言われる右肩上がりなどという言葉に表される継続的な成長が自然と感じられ、がむしゃらに働くことで、より鮮明に結果を享受できた。ゆえに顧客の無理難題にも耐え、過剰なサービスをできる限り安い金額で提供し、それを提供する側の働き手たちが犠牲になって生み出していた。世に中は多様性がなく、皆が同じ方向を向いて、似た価値観という空気に飲まれ、皆、一様に同じ働き方をしていた。

今はどうだろう。果たして皆が充足感なく、何かが足りてない状態にあるだろうか?皆が同じ共通の趣味に興じる時代だろうか?過労と成績に比例した結果があるだろうか?
昔と今は違う。無理して働いたところで、がむしゃらに営業をしたところで、商品が売れることはないし、今のこの瞬間の空気に飲まれ、春を謳歌している気分に浸っても、まもなく暗転が訪れる。これ以上の成長など、そう簡単に望めない時代になったのだ。

社会は多様化し、世の中の仕組みは、劇的に変化し、既存ビジネスが急速に色あせている時代だ。私が関わる輸入販売代理業など、遠い昔に、古びたビジネスになったのだと、強く感じる。否、そんなことは遠い前から気づいているし、そこから早く脱出したくての、ショーコントロールソリューションというビジョンがあったはずだが、自分が到達する前に、それすらも、陳腐化したのだと思うと、ああ、もう10年が過ぎたんだと目を細める自分がそこにいる。

今やマイルランテックには新しい役目が必要だ。今のビジネスを行いながらも、やはり新しいことに目を向ける必要がある。だからこその2.0なのだ。それはこれまでの歩みとは劇的に異なるものになるはずだ。我々は、まさに大きな変革の時を迎えている。自分は、これを乗り越え、新しい道を切り開く役目を担っている。これほどエキサイティングな仕事はない。だからこそ、今もこれまでも、自分の会社の最終決定を自ら行い、CEOというポジションを楽しんでいる。これほどの興奮がなければ、会社経営など、苦痛以外の何物でもない。やはり会社経営は変化を起こし、幾つもの試練を乗り越えていく工程が楽しいのだ。さあ、新しいセイルを張ろう。大きな海原へ