2020年10月12日月曜日

事業転換のきっかけ

  2019年に私はマイルランテックが10年かけて育てたビジネスであるLuminexとエンタメ産業のL2ネットワークに関する事業から完全に撤退した。これは当社が行ってきた劇場の照明インフラ構築とサポートを、当社自身、継続していくだけの力がないという判断でもあり、また劇場の方々からのご指摘が強く肩を押したことが大きな理由です。

さらには、いまや音響業界にまで広がったLuminexビジネスを、今後も継続して育てていくとき、Luminex社は、私にLuminexだけに専念してほしいという強い思いがあり、彼らからしてもマイルランテックは邪魔だったのだろうと思う。だからこそ、マイルランテックを切り離すべきと、決断を迫ったのであり、その意味で私のマイルランテックは国内の顧客からも、製品供給者であるLuminexからも、見切りを付けられたと言えるのではないだろうか?そのとき、わたしは潮時であると腹をくくったのだ。

このような状況が発生することは、もちろんずっと以前から想定していたし、そのための準備もしてきたつもりだが、この問題をソフトランディングさせるべく、必死になっていた。しかし最後の一撃となるさまざまな問題が、2019年2月に起き、これを起点に、この決着はハードランディングへと急激に舵をきった。

これは悪夢としか言いようのない変化だった。なぜならマイルの事業はすべてLuminexを中心に作り上げたものであり、それを置き換えるべく動いていたショーコントロール関連事業は、すでに崩壊していたからだ。しかし、変化の波は急激に成長しており、待ち時間はのこされていなかった。はやくこの問題に決着をつけ、新しい道へマイルを導かねばならない。その一心で、この激しいトランジションを実行していった。

2020年9月、マイルランテックは、一部のワイヤレス製品を除き、これまで販売した様々なネットワークインフラに関わる消耗品、イベント産業、舞台産業向けの消耗品の販売を終了とし、今後も舞台やイベント産業に関わる製品の開拓は行わないと決意し、会社の事業そのものを大転換することを決定しました。これは舞台産業からの撤退といっても過言ではない、照明家協会、劇場演出業界からの離脱、これまで慣れ親しんだ産業から、追われるように私は、マイルランテックという船の舵を大きく変更した。その多くがLuminexJapanという新しい企業に道をゆずった結果に起こった大転換である。マイルランテックはあきらかにLuminexという企業の犠牲となり、その関係が壊れるに合わせ、舞台産業からも引退することになった。

ある面では吹っ切れたという気持ちもあり、ある面では寂しいという思いもある。しかし、この2020年に起きた世界の変化は、多くの企業にその生き方の変更を迫るものではないだろうか?マイルランテックに価値がないなら、生きることは許されないだろうし、価値があるなら、来年もまだ生き残るだろう。これは正念場なのだと思う。自分はマイルランテックという船とともにこの航海をのりきってやろうと考えている。そこには舞台産業としての側面は薄くなり、新しい道を探る自分たちがいる。

 


 

2020年10月1日木曜日

オンラインショップの廃止

 9月30日をもってMRTE (MRT Equipment)というサイトを閉じた。

2016年ごろから始めたオンラインサイトで当社製品を販売するアイデアは、商品内容の貧弱さと、特殊性から、まったくこの手の商売に適合せず、今年、他社がオンラインショッピングサイトを新たにオープンする中にあって世間のながれと逆行する行為だけれども、Workしないものをもっていても意味がない。今後の当社の仕事を鑑みても、改めてこの産業の小物販売については、撤退して正解ということになるだろう。

そもそも、Luminex製品の取り扱いを辞退して以降、舞台産業に適合する商材がなく、少額の多様な製品を扱うには、当社の商品特性から言って、あまりにオンラインショッピングサイトというのは、不一致特性と言わざるを得ない。そもそも、商売の仕方が変化したのだから、昨年の時点であきらめるべきだったと痛感している。

2007年からスタートしたマイルランテックと私の事業については、その多くが失敗の連続だった。照明のオペレーターから始まった仕事はいつしかトレーニングやエデュケーションへと変わり、インテグレーターから輸入卸業へとつづいた。前半の事業も失敗だったが、輸入卸に関わってからも、数多くの商品で失敗を重ねてきた。うまくいったことなど、ほとんどないと言っていい。

中小のマイクロカンパニーの社長なんて、商店街の個人事業とほぼ同じだろうと揶揄され、経営なんぞわかりはしないとか、買って欲しければ頭下げろとか、 販売好調になれば、金もうけしやがってと、何をしようとも評価もされず、感謝もされず、リスペクトされないばかりか、社員からまで、酷く軽蔑される仕事になんの意味があろうか?と何度も挫けそうになりながら、13年を生き抜いてきたけれど、その期間、確かにすべての経営計画は失敗の連続だった。

大成功するような人というのは一握りだろうし、私のような事業を選択する人は、最初から選択がまちがっているとも言えるし、いやしかし、それでも夢をもってつづけてきたのだが、今年2020年の大リセットを迎える状況では、自分の無能さを自覚せずにはおれない。

オンラインサイトの閉鎖だけでなく、これから、さまざまな変化があるだろう。その1つ1つが自分の事業家としての選択であり、もし、これからやってくる大不況、大リセッションを生き抜ければ、私は事業を守り抜いたことを誇りに思えるだろう。

大会社に勤めていなくても、すばらしい実績や輝かしいバックグラウンドなど、もっていなくても、小さい規模だろうが、ゼロからスタートし、それを20年守ることができたなら、ましてやリーマンからつづく大不況の不利な社会情勢に何度も見舞われながら、存続したなら、それ自体、誰がマネできるだろう。

 

 

 

デジタルシフト

もう10月、まるでタイムワープしたかのように、夏の記憶がないのは、今年の夏は特別というより、特殊な夏になったのだ。その意味では2020年の夏は喪失感と異質感を混在させた記憶として、心にとどめることになるだろう。

今日は少し雲が多く、午前中は雨音も聞こえていたが、午後からは、ここちよい空気と秋空の広がる東京の風景が見渡せる。今では、東京の街中も今夏の特殊感を覆い隠すかのように、何事もなく忙しい雰囲気があふれ、駅もレストランもなにもかも、以前の賑わいがもどったように思える。唯一誰もが着用するマスク姿の特殊な光景をのぞいて。。

以前は連日、感染者数の話ばかりがニュースとして流れてきたが、今では、人々の関心は政治や経済など別の方面に入れ替わっている。とはいえ、社会全体で共有する空気は、いまだ密を避けて、感染防止を行うことが日常という状態。イベント産業においては、人数を制限しながら徐々に再開という方向性があるものの、以前のような活況に戻らないことは明らかだ。 やはり、我々は何か新しい形のエンターテイメントを模索すべきだろうか?また、いわゆる日常はいまの姿が、新しい日常として受け入れられていくのだろうか。おそらく当分はそうなるだろう。

これこそ社会の変容というもので、この新しい形を受け入れて、なじむしかないというのが、自分の考えで、企業も同様に、これまでの事業活動のすべてを、どうオンラインへと切り替えていくかが必須となる。では、どうやってオンラインで活動していくのか?具体的に何をしていくべきか?そう、それがこの数ヶ月間の私のテーマだったし、これまで実行してきたように、オンラインセミナーやYoutube, オンライン展示会、広告など、ありふれているけれど、こうしたアクティビティーを積極的に行うのが自分の考えるデジタルシフトだった。

ところが、多くの企業が同じことを考えているため、展示会にしても、ズーム会議にしても、皆同じような選択しかなく、独自色を出していくのは難しいし、自社と潜在的顧客とを結びつける方法は、依然として限定的と言わざるを得ない。世界中で、デジタルトランスフォーム が叫ばれる中、これからはすべての社会活動がオンラインに紐づいていくのだろう。契約書、商談、展示会、会議、テレワーク、ショッピング、エンターテイメント、通貨、認証、教育、医療、自分の周りにあるすべてのことがオンラインになっていく。この変化は不可逆なものになるのは、間違いない。

3月からつづいているこの悩み、マイルランテックは、これからどんな価値を提供していけばいいのか? この答えがでないまま、当社もデジタルトランスフォーメーションの波に今も、巻かれつづけている。