2022年6月10日金曜日

GameChange の号砲とブログ終了

 

2020年3月、あれは号砲だったんだよ。まさに世界を変える合図

もう2年もの時間が経過したとは。。

生き残るために、試行錯誤を繰り返し、長い間、先の見えない闇の中を彷徨い歩いて、今に至るけれど、何もかもが変わった。人生観も価値観も仕事に対する想いも。そんなことを感じている2022年の6月です。まるで嵐の後、無人島に流れ着いて海岸で呆然としているような。。ただ危機感は依然としてそこにある。

こうして思い起こすと、まさか映画ではあるまいし、パンデミックなどという言葉がWHOから発せられるとは、想像すらできなかった。これは映画か夢か?と私だけでなく、誰もが思ったことだろう。しかし、この悲劇は現実に起こった。そして世界中でロックダウンという聴き慣れない規制が行われたのも、私たちの想像のはるか先を行っていた。

劇的な拡大で、世界に大変化をもたらしたパンデミック。その後の経過はコロナという病気との共存という選択が行われ始め、2022年6月の現在、日本も海外の観光客を受け入れるという話になっており、あれほどメディアが熱中したPCR検査による感染者数について、ほとんどの人の興味は失われている。一体、あれはなんだったのだろう?

朝の通勤ラッシュ、夜の街で騒ぐ人々、そういう景色を見ていると、もう全てが終わり、また元の日常に戻りつつあるように感じる一方、個人的には、まるですべてが、リセットされたかのような印象が残る。お金を失い、人との繋がりも破壊され、自分の会社の夢も形も失い、さらには、唯一のモチベーションでもあったショーコントロールへの熱い思いも燃え尽きてしまった今、もう元の世界に戻れる気がしない。おそらく、今はこういう劇的なリセットの影響を受けた人と、さほど影響を感じず、また元の世界に戻りつつある人とに二分されるんだろう。残念ながら、自分はリセットされてしまった側にいる。

コロナによって強制的に変化させられたのは、主に価値観や仕事への意識そして生活習慣だ。一体、いままでどう生きていたのか?思い出せないくらいに、以前のような仕事の仕方や生活スタイル、価値観に、ノスタルジーや共感もない。もう完全に変わってしまった。

もう過去へ戻るつもりがないし、これまでの人間関係も、仕事の繋がりも自分には、もはや無用になりつつある。完全に燃え尽きたのだ。22歳くらいから関わり続けた舞台産業の30年間は、コロナによって完全に終止符がうたれた。

個人的には、流行り病に続く、第2、第3の何か?が、まだ起きると考えており、このリセットはさらに加速するだろうと考えている。まだ終わってはいない。今は次のハリケーンがくるまでのほんのわずかな休息期間なのだと思う。そのやがてくる大変化を直接、受ける人と受けない人がいるのだろう。次に来るハリケーンがどの程度のものか知る術はないが、この2年で受けたダメージは、非常に大きく、次がトドメになるのかもしれない。自分の人生がどう変わるか想像すらできないが、続けられる限り続けてみようと思う。ただ歩む道は、全く異なる世界へ繋がっている。

 


2021年8月25日水曜日

舞台との出会い。そして別れ

 

 今から20年以上前、照明オペレーターとして参加した演劇の1シーンを思い起こすとき、自分の原点とも言える当時感じた感動を非常に明確に思い起こすことができる。

その劇中、主人公が一人残され、夫を死に追いやった自責の念に駆られながら同時に大事なパートナーを失った喪失感により、感情的になるシーン。唯一自分の理解者であり、自分を尊重し、愛してくれる人物が目の前で失われる残酷さ、そしてその愛する人が彼女と結婚してからも思い悩んでいた事、詩(歌)をつくることで、彼女の生まれ育った国(世界)の文化を理解したいという思いが、皮肉にも死ぬ間際に結実する。

”男”は崖から落ちたあとの川の中で、彼女を思う気持ちを歌にしてよみあげ、気づくのだ。いま、ようやく自分の心から湧き起こる感情で詩(唄)が生まれた。これでようやく、自分も"人"になれたと感じると同時に、自分が死んだ後の妻を誰が守るのか?障害のある彼女を理解し、守れるのは自分しかいないのにと、主人公の彼は、その詩を唄いながら無念を噛み締めて、波間へと消えていく。残された ”彼女” は、彼の思いを強く感じるからこそ、押しよせる激しい悲しみに打ちひしがれての激しい叫び、その後の静寂。。孤独な想いをつづる彼女の悲しい唄が一人ぼっちの舞台を虚しくさまよう。そういう劇的なシーンだった。

当時、どこにでもある中学校の体育館に作られた仮設舞台を前に、その演劇のシーンに、子供たちが息をのみ、心震える悲哀のシーンによって、静寂に支配された空気が、それぞれの感情で美しく色鮮やかに染まる様を目の当たりにした私は、舞台芸術の力に衝撃を感じたことを、強く記憶している。それこそが私に舞台産業との関わりを継続させたただ1つの理由だ。素直に舞台に感動したのだ。

それはオペラという芸術により、小さな村で起こる悲劇を、”さる”と人間という2つの世界を比喩に、差別という人間の醜い行為がいかに醜悪で、人間はそれを克服できるはずだと。しかし現実世界はそれを否定し、我々は黄泉の世界でしか、平等を認め合えないのだろうか?という深いテーマを子供達に投げかけた文化事業だった。作曲家の三木稔氏によるアジアの楽器だけでオーケストラを形成したアンサンブルもまた美しいオペレッタスタイルのお芝居だった。

うたよみざる 

田舎の中学校などを劇団が訪問し行う舞台芸術鑑賞事業は、遠い記憶をたどると、田舎育ちの私も同様に体験した記憶がある。確かに当時、私も初めての観劇は、こうした演劇鑑賞教室だったように思う。当時、芸術劇場などの施設は、田舎にはまだ多くはなかった。おそらく当時の文化庁もまた、それを差別撤廃、特に同和教育を行う上で1つの強い影響力として選択したのだろうと想像する。しかし、それを日々のルーティンワークとして行っていた若き日の自分には、この仕事がどれだけ重要な意味を持つかを知る術はなかった。しかし、先の劇的なシーンに感動した子供たちが涙する姿を目にしたことで、自分の中で、何かが弾け、そのことが私の人生も変え、今に至るのだ。

仕事というのは、強い衝動、目的意識があるべきだと思う。お金のために、利益のために働くというだけでは長く継続など、できはしない。私は劇場や舞台芸術に関わりたかったのだ。やはり文化に関わる仕事、人を感動させる仕事はおもしろい。可能ならいつまでも関わっていたいと強くそう思った。

たとえ舞台に直接関わることをやめてから、もう長い年月が経ち、特に自分の会社を設立してからの15年間、輸入卸という業態で劇場のネットワークシステムの提供という、芸術からは程遠い技術的な仕事だとしても、そこに関われることは、先の演劇のシーンで感じた感動を提供する人たちが働く場所に貢献しているというだけで、誇らしい気持ちになれた。昔、フランスのオペラガルニエを訪問したときにも、そこで働く人たちは、たとえ清掃の仕事でもオペラガルニエで働いているという誇りをもてると聞いた時に、同じく私も劇場や舞台に関われれることは、文化に貢献しているんだと自分に言い聞かせていた。

今、私は2019年から始まる業態変更の最中にいる。2020年に始まった世界の大変化の時代になり、自分の人生も大きく変化したと思う。どこかで終止符を打つべきであった事、年齢的にも自分の現在の立場においても、結果的に多くを失い、孤立してしまったことなどを考えると、2020年の大変化の号砲は、自分にとっての人生のリセットタイミングであったかもしれない。今まさに舞台産業への関わりという1つの時代が終わり、新たな道を歩むべきところに来たのだろう。今はただ、ありがとうと舞台産業にお礼をいいたい。そして私をすばらしい世界に導いてくれた照明デザイナーの高山氏に心から感謝の気持ちを捧げ、私は新たな目標へ向けて歩んでいく決意をしたい。この文章を書きながら自分を育ててくれた舞台産業との別れを明確に意識し区切りとしよう。

新しい世界、それは自然との調和を目指した世界、人と社会に貢献する事。どうやれば自分が社会に役立つだろうか?常に自問自答している。会社の規模や組織などどうでもよいし、業界内での自分の立場や人からどう見られるかなど、ほんとうにくだらないこと。自分を憎む、悪く言うような人々と無理して関わる必要などない。ときに人間関係はリセットするタイミングがあっても良いと自分は思う。仕事も同様に、いやなら続ける必要などない。いまは自分の幸せを追求し、自分が役に立つ場所、求められる場所へ向かうときだと思う。


 

2020年10月12日月曜日

事業転換のきっかけ

  2019年に私はマイルランテックが10年かけて育てたビジネスであるLuminexとエンタメ産業のL2ネットワークに関する事業から完全に撤退した。これは当社が行ってきた劇場の照明インフラ構築とサポートを、当社自身、継続していくだけの力がないという判断でもあり、また劇場の方々からのご指摘が強く肩を押したことが大きな理由です。

さらには、いまや音響業界にまで広がったLuminexビジネスを、今後も継続して育てていくとき、Luminex社は、私にLuminexだけに専念してほしいという強い思いがあり、彼らからしてもマイルランテックは邪魔だったのだろうと思う。だからこそ、マイルランテックを切り離すべきと、決断を迫ったのであり、その意味で私のマイルランテックは国内の顧客からも、製品供給者であるLuminexからも、見切りを付けられたと言えるのではないだろうか?そのとき、わたしは潮時であると腹をくくったのだ。

このような状況が発生することは、もちろんずっと以前から想定していたし、そのための準備もしてきたつもりだが、この問題をソフトランディングさせるべく、必死になっていた。しかし最後の一撃となるさまざまな問題が、2019年2月に起き、これを起点に、この決着はハードランディングへと急激に舵をきった。

これは悪夢としか言いようのない変化だった。なぜならマイルの事業はすべてLuminexを中心に作り上げたものであり、それを置き換えるべく動いていたショーコントロール関連事業は、すでに崩壊していたからだ。しかし、変化の波は急激に成長しており、待ち時間はのこされていなかった。はやくこの問題に決着をつけ、新しい道へマイルを導かねばならない。その一心で、この激しいトランジションを実行していった。

2020年9月、マイルランテックは、一部のワイヤレス製品を除き、これまで販売した様々なネットワークインフラに関わる消耗品、イベント産業、舞台産業向けの消耗品の販売を終了とし、今後も舞台やイベント産業に関わる製品の開拓は行わないと決意し、会社の事業そのものを大転換することを決定しました。これは舞台産業からの撤退といっても過言ではない、照明家協会、劇場演出業界からの離脱、これまで慣れ親しんだ産業から、追われるように私は、マイルランテックという船の舵を大きく変更した。その多くがLuminexJapanという新しい企業に道をゆずった結果に起こった大転換である。マイルランテックはあきらかにLuminexという企業の犠牲となり、その関係が壊れるに合わせ、舞台産業からも引退することになった。

ある面では吹っ切れたという気持ちもあり、ある面では寂しいという思いもある。しかし、この2020年に起きた世界の変化は、多くの企業にその生き方の変更を迫るものではないだろうか?マイルランテックに価値がないなら、生きることは許されないだろうし、価値があるなら、来年もまだ生き残るだろう。これは正念場なのだと思う。自分はマイルランテックという船とともにこの航海をのりきってやろうと考えている。そこには舞台産業としての側面は薄くなり、新しい道を探る自分たちがいる。

 


 

2020年10月1日木曜日

オンラインショップの廃止

 9月30日をもってMRTE (MRT Equipment)というサイトを閉じた。

2016年ごろから始めたオンラインサイトで当社製品を販売するアイデアは、商品内容の貧弱さと、特殊性から、まったくこの手の商売に適合せず、今年、他社がオンラインショッピングサイトを新たにオープンする中にあって世間のながれと逆行する行為だけれども、Workしないものをもっていても意味がない。今後の当社の仕事を鑑みても、改めてこの産業の小物販売については、撤退して正解ということになるだろう。

そもそも、Luminex製品の取り扱いを辞退して以降、舞台産業に適合する商材がなく、少額の多様な製品を扱うには、当社の商品特性から言って、あまりにオンラインショッピングサイトというのは、不一致特性と言わざるを得ない。そもそも、商売の仕方が変化したのだから、昨年の時点であきらめるべきだったと痛感している。

2007年からスタートしたマイルランテックと私の事業については、その多くが失敗の連続だった。照明のオペレーターから始まった仕事はいつしかトレーニングやエデュケーションへと変わり、インテグレーターから輸入卸業へとつづいた。前半の事業も失敗だったが、輸入卸に関わってからも、数多くの商品で失敗を重ねてきた。うまくいったことなど、ほとんどないと言っていい。

中小のマイクロカンパニーの社長なんて、商店街の個人事業とほぼ同じだろうと揶揄され、経営なんぞわかりはしないとか、買って欲しければ頭下げろとか、 販売好調になれば、金もうけしやがってと、何をしようとも評価もされず、感謝もされず、リスペクトされないばかりか、社員からまで、酷く軽蔑される仕事になんの意味があろうか?と何度も挫けそうになりながら、13年を生き抜いてきたけれど、その期間、確かにすべての経営計画は失敗の連続だった。

大成功するような人というのは一握りだろうし、私のような事業を選択する人は、最初から選択がまちがっているとも言えるし、いやしかし、それでも夢をもってつづけてきたのだが、今年2020年の大リセットを迎える状況では、自分の無能さを自覚せずにはおれない。

オンラインサイトの閉鎖だけでなく、これから、さまざまな変化があるだろう。その1つ1つが自分の事業家としての選択であり、もし、これからやってくる大不況、大リセッションを生き抜ければ、私は事業を守り抜いたことを誇りに思えるだろう。

大会社に勤めていなくても、すばらしい実績や輝かしいバックグラウンドなど、もっていなくても、小さい規模だろうが、ゼロからスタートし、それを20年守ることができたなら、ましてやリーマンからつづく大不況の不利な社会情勢に何度も見舞われながら、存続したなら、それ自体、誰がマネできるだろう。

 

 

 

デジタルシフト

もう10月、まるでタイムワープしたかのように、夏の記憶がないのは、今年の夏は特別というより、特殊な夏になったのだ。その意味では2020年の夏は喪失感と異質感を混在させた記憶として、心にとどめることになるだろう。

今日は少し雲が多く、午前中は雨音も聞こえていたが、午後からは、ここちよい空気と秋空の広がる東京の風景が見渡せる。今では、東京の街中も今夏の特殊感を覆い隠すかのように、何事もなく忙しい雰囲気があふれ、駅もレストランもなにもかも、以前の賑わいがもどったように思える。唯一誰もが着用するマスク姿の特殊な光景をのぞいて。。

以前は連日、感染者数の話ばかりがニュースとして流れてきたが、今では、人々の関心は政治や経済など別の方面に入れ替わっている。とはいえ、社会全体で共有する空気は、いまだ密を避けて、感染防止を行うことが日常という状態。イベント産業においては、人数を制限しながら徐々に再開という方向性があるものの、以前のような活況に戻らないことは明らかだ。 やはり、我々は何か新しい形のエンターテイメントを模索すべきだろうか?また、いわゆる日常はいまの姿が、新しい日常として受け入れられていくのだろうか。おそらく当分はそうなるだろう。

これこそ社会の変容というもので、この新しい形を受け入れて、なじむしかないというのが、自分の考えで、企業も同様に、これまでの事業活動のすべてを、どうオンラインへと切り替えていくかが必須となる。では、どうやってオンラインで活動していくのか?具体的に何をしていくべきか?そう、それがこの数ヶ月間の私のテーマだったし、これまで実行してきたように、オンラインセミナーやYoutube, オンライン展示会、広告など、ありふれているけれど、こうしたアクティビティーを積極的に行うのが自分の考えるデジタルシフトだった。

ところが、多くの企業が同じことを考えているため、展示会にしても、ズーム会議にしても、皆同じような選択しかなく、独自色を出していくのは難しいし、自社と潜在的顧客とを結びつける方法は、依然として限定的と言わざるを得ない。世界中で、デジタルトランスフォーム が叫ばれる中、これからはすべての社会活動がオンラインに紐づいていくのだろう。契約書、商談、展示会、会議、テレワーク、ショッピング、エンターテイメント、通貨、認証、教育、医療、自分の周りにあるすべてのことがオンラインになっていく。この変化は不可逆なものになるのは、間違いない。

3月からつづいているこの悩み、マイルランテックは、これからどんな価値を提供していけばいいのか? この答えがでないまま、当社もデジタルトランスフォーメーションの波に今も、巻かれつづけている。

 


2020年5月31日日曜日

潮目の変化


 長い自粛期間が終わり、この二ヶ月におよぶ自粛効果は、本当にあったのか?おそらく、そろそろ検証が行われるだろう。そして世界中で言われているように、日本は異次元的に緩いロックダウンでも、ほぼ感染拡大を抑えられている上に驚異的に死者が少ないことは事実であり、誰もが思う果たして緊急事態宣言は必要だったのか?という疑問が大きく首をもたげてくるのである。 しかし、既に潮目は変わってしまった。。

東京都のロードマップでは、6月19日以降を目指して、1000人規模のイベントなどが行えるようになる上に他県への移動も制限がなくなるというが、それは決して元に戻れるということと同義ではない。この感染症による新しい生活スタイルは、既に植え付けられた恐怖感と日本国民独特の同調圧力により、そう簡単に以前と同じに戻りはしない。この状態は、長期視点で見るべきだと誰もが感じていることだろう。

より大きな問題は、感染症による生活スタイルの変化ではない。これはあくまで新しい世界、ゲームチェンジのトリガーでしかなく、ワークスタイルの変化、東京都心から地方への移転の加速、イベントやエンターテイメントの再定義、企業の営業活動のオンライン化、インバウンドから国内需要へのターゲット変更、グローバリゼーション断絶による企業戦略の見直しなど、パラダイムシフトが加速するのが、馬鹿でもわかるくらいに明確になっている。元に戻るどころか、全く異なる常識、ルール、ワークスタイル、生き方、全てが変化を加速させている上に、オンラインへの過度な依存が強まっているというのが現実である。もう今までの仕事の仕方も、考え方も通用しない。

こうした中、小さいながらも、自分の会社を持つ身としては、どうやって自分の会社を存続させるか?というテーマに取り組んでいるが、既に3月の時点で、私はこの問題は短期で解決することはないと確信していた。日本国内において、感染拡大を封じ込めたとして、どうやって他国と人的交流を行うのだろう。すでに先んじてコロナの封じ込めに成功した各国も、第2波の可能性は否定しない。その意味でも、この問題はすでに長期化が確定しているのである。海外への渡航は長期間不可能、国内でも大規模なイベントは長期間、行うことができない。そして人のライフスタイルは大きく変貌した。

ワクチンの開発や重篤患者への特効薬など、医療による新たなソリューションで、この問題は年内にも沈静化するという声もあるが、たとえ症状改善と治癒の手法が見えてきても、多くの人の意識に、ここまで強く、すり込まれた恐怖や人と密接に関わる抵抗感を払拭するのは難しい。さらには新たなタイプのウイルスが蔓延する可能性を意識すると、どうやっても、元の日常に戻れないのは、容易に理解出来る。。現在の状況は、この問題の長期化の入り口であり、社会が新たな形に変化していく過程の入り口にすぎない。

この絶望感の破壊力は凄まじい。4月と5月だけでなく、夏場もかなりの確率でイベント等は自粛であり、今年一年は、この状態が継続するのだ。確かに一時的な緩和はあるだろうが、断続的に自粛と緩和を繰り返しながら、今年一年はこれを継続するしかない。しかし、その間、大型イベントなどを開催するイメージができるだろうか?そしてオリンピック中止ともなれば、来年もこの状態が継続する可能性がある。オリンピック中止と言うのは、日本の経済にとどめを刺すほどのインパクトがあるだろう。景気は悪化どころか、ボトムに沈むことは、誰でも想像できる。果たして、来年、この状況で、華やかなイベントやエンタメの仕事があると想像できるだろうか?来年は、311と同じくらいに、経済がシュリンクした一年になる可能性は高い。すでに世界的に見ても経済への打撃は瞬間的にも凄まじい。まだ高いポジションを維持している株価が2番底へ向かうのはあり得ると思う。

この悲惨な状態の中、3月ごろに話をした照明さんが、一年くらいは収入がなくとも継続できると、豪語していたが、もし2年継続したら、いや、数年間、今までのような仕事がなく、これまでの業界そのものが蒸発するとしたら、そう楽観的に構えていられるだろうか? 自分の仕事だけでなく、場合によってはインバウンドの観光業のように、業界ごと蒸発する可能性だってある。それがゲームチェンジ、社会全体の価値観の変化、パラダイムシフトという状態なのだ。これまで普通だったことがそうではなくなる。その変化の津波に、どう対応するのか?これが経営者に求められる挑戦である。

先に書いた通り、私は3月の時点で、この問題が長期化になり、自分の会社に大きな事業転換が必要になることは想像していた。実のところ、昨年からすでに、当社は事業転換を進めていたこともあり、新事業への転換そのものは、想定内だが、まさかここまでそれを、加速させることになるとは思わなかった。これを推し進めることにより、既存顧客のサポートや製品提供も継続することが可能であり、一時の痛みより、重要なことは存続することだと自分は思っています。今後、マイルランテックは、これまでお付き合いのあった皆様から見るとイメージしにくい事業に見えるかもしれませんが、何卒、ご理解いただけたらと思います。まずは存続が優先です。




2020年3月21日土曜日

未来へ向けて前進するマイルランテック

 2020年、誰もが信じて疑わなかった輝かしい年、オリンピックイヤー、そして日本経済も、いつか闇を抜けて上昇するのだと思っていた理想的にブリリアントな年は、一瞬にして暗転したと言っても過言ではないだろう。世界は得体の知れないVirus によって暗鬱なトーンに支配され、経済はリセッションへと舵を切っている。株価は大暴落をし、出口の見えない永遠とも言えるイベントの自粛や国を超えた人の移動のロックアウトによって、経済活動がほぼ停止に近い状態を余儀なくされている。

昨年の今頃、その時点で、もちろん誰もこんな悲惨な世界をイメージすることなどないでしょうし、当社もこのような時代が突然、やってくるとは、全く想像だにしていませんでした。故に2019年4月、当社はLuminexとの決別を経て、大胆な経営方針の変更を行いました。それは、マイルが歩んだ12年の役割を捨て、社員の入れ替え、そして舞台照明産業からの撤退、劇場産業からの撤退であり、それに代わり、改めて、映像製品を活用した映像産業への業務強化、インバウンド向け製品の提供など、基本的には、創業当初のアイデアに近いものですが、これまで歩んだ道とは、明らかに異なる分野へ進み、その分野にのみ、注力することを決定していました。しかし、このコロナショックという環境変化は、当社に対し、さらなる変化の意思決定を迫るものであり、当社としては、再度、自社のあり方について、真の意味でその存在価値の再定義、存続するための継続性を持った事業への転換を検討せざるをえない状況になったと感じています。

 当社は、おそらくは多くの方々の間で、今も舞台照明関連の企業というイメージが残っており、またイベント映像向けのメディアサーバーの企業というイメージもかなり浸透してきたのではないかと思います。しかしながら、まず当社は照明産業との接点は、ほぼワイヤレスDMX製品のみとなり、これ以上舞台照明に関わることは、今後もないと判断したことで、今の状況におり、今後もその世界に戻ることはないでしょう。今にして思うと、やはりルミネックスとの関わりのみが、マイルにとって照明産業との接点だったと感じています。そしてイベント映像分野においては、Modulo Pi製品の販売継続を持って、その責任を果たしつつも、おそらく、このコロナショックは、当社が、これまでと同じ形で続けることへの限界を与えるインパクトになったと感じています。

 今回のコロナショックは、3月の今の時点では、イベント産業や外食、インバウンドなどサービス産業を直撃したものでしたが、今後、このショックは長期化に伴い、さらに様々な産業に拡大していくでしょう。そしてオリンピックが絶望的となった時、そのインパクトは相当なものとなり、当社も映像メディアサーバーだけで存続していくことは、困難になることは明白です。かなり悲観的かもしれませんが、間違いなく、もうこの世界は元には戻らないでしょう。これは新しい価値観、思考への転換が必要な試練なんだと思います。このような世界の枠組みが大きく変化する転換点において、事業オーナーには、新たな決断、新たなアイデアの実行や会社の方向性の転換を決定することが求められると思います。今後、以前から取り組んでいる第2創業の改革を、再度、定義し直しながら、昨年とも異なる視点で、改めて自社の事業再編に取り組んでいくつもりです。

2019年11月10日日曜日

古いマインドセットの変更タイミング

 最近、非常に漠然と自分の考え方が変化していることに気づいている。
タイトルにあるマインドセットとは、自分の持つ価値基準、常識に基づいて形成される考え方や行動を指しており、自分の思考様式そのものという意味で用いた。それが最近になって、変化を起こしているのは、やはり環境の変化だと思う。

  • 過去の自分を捨てたこと
  • 自分が中心にいないことを受け入れたこと
  • 自分の役割の変化に気づいたこと
  • 新しいビジョンや夢
  • 働くということの意味を捉え直す(個人の時間を持つこと)

 過去というのを、これまでの自分と言い変えると、これまでは、過去の経験に依拠した自分がいたと思う。それは、もちろん過去に積み上げた自分の資産があり、それこそが自分のアイデンティティーであって、そう簡単に捨てるのは難しいものだ。それを捨て去り、
自分が舞台に関わっていた時期は遠い昔として、今は違うと再認識し、過去の遺産と決別できたのは、劇場という分野からの撤退があったからこそ実現できたように思う。

2つめの、自分が主役でないことを受け入れるという点では、会社を経営していて、社長という立場について、強く中心に関わらなければ、気が済まない時期があるが、それを完全に人に渡し、そこから距離をおいて、自分が主役でない状況に持って行くことで、会社は自分から独り立ちする。それは個人商店からの脱皮に近い。そうした上で、自分が会社に果たす役割りの変化を受け入れることができる。いや、新しい役割りを見つけることになる。それが会社組織を作るということなんだと思う。

これら変化があって、ようやく自分は自分なりのビジョンや夢を描くことができ、新しい会社のあり方に意識を集中できたような気がする。この変化は仕事への関わり方だけでなく、働くとことの定義にも影響を与える。創業時というのは、身を削って我慢を重ね、まるで僧侶の苦行のような経験を経なければ、会社が存続し得ないような時期もあり、それゆえ、多くの時間を会社に捧げることになり、その行動様式が常態化する。しかし、果たしてそんな生き方が幸せなはずもなく、またそれによって得られるものが何もないことを実感している今、働くことの意味を改めて問い直している。

大昔、30年以上も前は、世の中は常に便利さ、快適さが不足していて、もちろんエンターテイメントも不足しており、新しいものを供給するだけで、世界は回っていた。よく言われる右肩上がりなどという言葉に表される継続的な成長が自然と感じられ、がむしゃらに働くことで、より鮮明に結果を享受できた。ゆえに顧客の無理難題にも耐え、過剰なサービスをできる限り安い金額で提供し、それを提供する側の働き手たちが犠牲になって生み出していた。世に中は多様性がなく、皆が同じ方向を向いて、似た価値観という空気に飲まれ、皆、一様に同じ働き方をしていた。

今はどうだろう。果たして皆が充足感なく、何かが足りてない状態にあるだろうか?皆が同じ共通の趣味に興じる時代だろうか?過労と成績に比例した結果があるだろうか?
昔と今は違う。無理して働いたところで、がむしゃらに営業をしたところで、商品が売れることはないし、今のこの瞬間の空気に飲まれ、春を謳歌している気分に浸っても、まもなく暗転が訪れる。これ以上の成長など、そう簡単に望めない時代になったのだ。

社会は多様化し、世の中の仕組みは、劇的に変化し、既存ビジネスが急速に色あせている時代だ。私が関わる輸入販売代理業など、遠い昔に、古びたビジネスになったのだと、強く感じる。否、そんなことは遠い前から気づいているし、そこから早く脱出したくての、ショーコントロールソリューションというビジョンがあったはずだが、自分が到達する前に、それすらも、陳腐化したのだと思うと、ああ、もう10年が過ぎたんだと目を細める自分がそこにいる。

今やマイルランテックには新しい役目が必要だ。今のビジネスを行いながらも、やはり新しいことに目を向ける必要がある。だからこその2.0なのだ。それはこれまでの歩みとは劇的に異なるものになるはずだ。我々は、まさに大きな変革の時を迎えている。自分は、これを乗り越え、新しい道を切り開く役目を担っている。これほどエキサイティングな仕事はない。だからこそ、今もこれまでも、自分の会社の最終決定を自ら行い、CEOというポジションを楽しんでいる。これほどの興奮がなければ、会社経営など、苦痛以外の何物でもない。やはり会社経営は変化を起こし、幾つもの試練を乗り越えていく工程が楽しいのだ。さあ、新しいセイルを張ろう。大きな海原へ



2019年9月15日日曜日

形を変え、やり方を変えて存続する

 



 会社にとって経営理念というのは、やっぱり大事だと常々、痛感するのだが、多くの場合、そのほとんどが社員に伝わらず、逆に崇高過ぎる目標を掲げすぎて、会社が成熟する前から、人を育てる使命感に燃えてしまい、いつしか企業理念という幻想に、自分自身が、絶対の憧れをもってその熱にうなされているのだと知り、心打ちひしがれるがごとく、自暴自棄に、創業当時の思いを放棄したりするのは、未熟な経営者にはありがちである。ご多分にもれず、自分もまたそれに幾度となく、直面してきた。残念ながら、正しいと思ったことが、常に自分の想像する形にアウトプットされないという現実を受け入れるべき時があるのである。

理想は理想として、しかしまずは会社に利益を残し、会社が存続することを優先しなければ、社会貢献の前に会社が消えて無くなるのでは本末転倒だ。どうやって働く人の待遇をよくしつつ、社会にも受け入れてもらえて、会社にお金が残るように経営するか?これを考えるたび、禅問答となって、もはや現実的とは思えないと結論に至ってしまうのだが、重要なことは、会社が儲けるというのは、続けるための前提なんだということを、忘れてはいけないと思う。儲けがないと次への投資ができないから、会社は続かないのである。情熱や綺麗事だけで続くものではないと、10年の歳月で改めて再認識している。

人生というのは本当に不思議なものだ。そして自分の思うようにならない。若い頃は、すべては自分の想い通りにコントロールできると勘違いをするのだが、さすがに50を前にすると、それがいかに非現実的かを思い知るにあまりある。自分では、うまく立ち回ったつもりが、自分の理想とは懸け離れた人生を歩むこともあるだろう。しかしそれも自分の人生。受け入れる以外に術はない。今の自分は過去の自分が選択した結果として存在しており、自分がこれまで歩んだ人生で作り上げたものだ。誰の責任でもなく自分の責任。ゆえに後悔しない生き方をすべきだと先人たちは力説する。しかし、それができれば、ここまで悩むこともなかろうというものだ。

この文章を書いている、2019年9月14日の今、私はアムステルダムにいる。今週はマイルランテックのビジネスにほとんど触れることができなかった。大事なセミナーがあること。海外からのお客さんがあること、会社の運営、売上に対する責任など、自分がやらねばという強い思いを持ちつつも、この3年の間、自分の会社に関わることが少なかった。しかし、写真のように、社長なしでも、会社はしっかりと一つのチームになり、無事にセミナーも終わったようだ。実は悲しい現実かもしれないが、この社員だけで会社がうまく運営されている状態が理想の形なのだ。自分はあくまで脇役で、嫌われ役であり、その中心にいないことが、社員にとっても幸せなのかもしれない。

人がどんどん離れ、入れ替わりながらも、会社は続けることができる。一時の苦痛はやがて消え、また新しく会社は変化していく。諦めさえしなければ、これを繰り返して、新しい形へと変化していくことで、それぞれの時代で価値を生み出し続けることができる。
どんなに皆が悪く言おうが、価値を生み出し提供することで会社は存在し続ける。そしてどう悪く言われようが、自分はこの会社を作り上げ、今後もうまく、この会社を存続させ続けてやろうと強く決意する。

 

 

* この思いは、たった1年後になり、幻想だったと気づくことになる。

会社を社員に任せて、自分の思い通りに、つながっていくことなどない。

楽しそうに、希望溢れる、若いチームとか、美辞麗句をならべたところで、

このセミナーの知識を誰も共有せず、誰一人の知識と技術として残らない。 大事なことは、

本当にこの仕事がしたいかどうか?それを心にもって関わっているかだ

そういう人を集めなかった自分の失敗は大きい


2019年9月14日土曜日

スタートライン















 9月に入り、少し涼しい空気になっているGenkの街で、この1週間の業務がおわり、土曜日の今日は、これからアムステルダムへ移動することになっている。
グローバル企業を目指すLuminexというベルギー企業において、Subsidiary Companyの社長、つまりはカントリーマネージャーを任せてもらえるのは、自分にとっては奇跡のようなものだと常々、思っている。

そして、会社が成長するに従い、人も増えて、自分の役割も大きく変化していくこと、来年には50になる自分自身も、この仕事を続けるのであれば、さらに能力を高める必要があるのだという事を最近、強く感じる。しかしながら、私は自分の会社のオーナーでもあり、社長でもある。しかも両社はともに同じような産業で働いてきた。これがこの数年間、歪みとなって、私を苦しめ続けたと自分は考えている。 しかしおそらく、それもようやく終わる

 2019年の8月、以前から計画して通り、LuminexJapanが、私の会社マイルランテックのオフィスから出て、新しいオフィスへ引っ越しをした。互いの共存関係が終わり、異なる道に進むことになった2つの組織は、それぞれに独立した道を歩むのである。これは新しいスタートラインとも言える。後年、この時期を振り返った時、間違いなく、マイルランテックとして、やっと重荷が取れた印象として残っているのじゃないだろうか?

12年の間、十二分にマイルランテックは、Luminexに貢献してきたし、もちろんその見返りとなる恩恵も受けてきた。しかし最後の2年あまりは、まさに身を削ってまで、支えたと言えるだろう。最後はぼろぼろになって、悲惨な状況だったと自分は感じている。あの当時に働いてくれた人、そして去っていった社員には、心から迷惑をかけたねと、謝りたい気持ちになる。自分でもなぜ、そこまでしてLuminexを支えたのか?使命感なのか?本当にベルギーの社長に感謝し、何かを返したかったのか?今では、遠い記憶の深みに埋没して、思い起こせるものが何もない。

今年、マイルランテックは、Luminexビジネスだけでなく、 劇場のビジネスも舞台照明のビジネスもすべて破壊した。これまで築き上げた価値を自ら放棄したのだ。それを持って、Luminexとの関係を断ち切り、新たな価値創造へ向き合ったのである。そのためには、いつまでもマイルランテックのミルクを吸い続ける子どものようなLuminexJapanをそばに置いておくわけにはいかない。2つのオフィスを分ける決断は、必然だった。

これにより、2つの会社の交流を断ち切り、連綿と続く社長への批判などの負の連鎖も断ち切りたかった。その後に、新しい社員を獲得することで、皆がニュートラルな感性でスタートラインに立てる。また、私自身、2つの会社で社長業を行う上でも、同一の業種では、利益相反が起きてしまい、常に判断が揺れることになる。今もそうだが、Luminexサイドに立つ視点と、マイルサイドに立つ視点で、自分の表現も考えも大きく変わる。この状況が常にストレスであり、正常な判断を阻害する要因でもあった。

こうしたストレスと混乱を除去するために、この決断に至ったが、今、こうして新しいスタートラインに立ち、Newマイルランテックとして、これからようやく新しいビジネスに向かうことができる安堵感を感じるとともに、オフィスには純粋に新しいマインドで入社した社員もいる。新しいメンバーで、マイルランテックだけのオフィスで、新しい世界を創っていける。これこそまさに新しい時代の幕開けになることを確信しています。



2019年6月28日金曜日

マイルランテック2.0

 ふと仕事を止めて、窓の外に目をやると、オフィスの窓から見える空が薄い紫に染まり、五反田の街並みが夜の光を放ち始める時間です。しかし、会社は静かで、すでに誰もいません。静かなオフィスでなんとなく未来のことを思ったとき、
ブログを更新してみようかと思いました。

それにしても、毎日のすべての時間が、仕事で埋め尽くされる中小企業の社長というライフスタイルに、そろそろ区切りをつけたいと思う今日この頃です。もちろん、それが、そう簡単ではないということもよく知っています。やはり今後も、平常運転で継続的ハードワークになるんでしょうか? いやいや、私も残りの人生を考えて、生き方を変えるべき
ときです。そう、事実、当社は今年、働き方改革を進めており、社員全員がフレックスタイム制の対象となり、以前から残業も少ないですが、さらに個人のライフスタイルと仕事を両立できるように仕事内容も変えていくつもりです。

今年、私が名付けた改革、マイルランテック2.0には、第2創業の意味が込められており、これを機に新たな価値を生み出す変化を起こそうという思いがあります。そのために、新たなメンバーを加え、ビジョンの再設定、働き方改革、サービス内容の再構築などを進めています。これは本当に大きな改革になります。それを一緒に構築してくれるメンバーを、
今も募集中です。まるで12年前に戻ったような、そんな感覚を覚えます。

イノベーションを起こすのは、本当に大変なことです。12年で積み上げた価値を過去にし、新たな価値を積み上げるのは、成功するかどうかも見えず、不安でしかない。しかし、それでも実行しなければと強く思うのは、12年の歳月で、環境も変わり、自分の役割も変わったし、マイルランテックの存在価値に、新しい何かを注入しないと、次の10年を生きることが難しいと感じるからです。もちろんきっかけはLuminexとの別れがきっかけであることも確かですが。。

時々、マイルランテックはLuminexから放り出されて、死んでしまうのではないか?といったご心配をされることもありますが、私はそう思わないです。捨てられたのではなく、お互いに別の道を選んだ。そして舞台照明というカテゴリー、それはマイルの1つの側面でしかなく、劇場の照明ネットワークインフラというカテゴリーを創出し、その重要性を訴えてきたその姿は、マイルランテックという企業の1つの仕事でしかなかったと言えるのです。事実、マイルの仕事には、メディアサーバーの販売、ショーコントロール製品の販売もあり、これらすべてが1つになってマイルランテックを形成しているのですから、1つのパートが失われても、自分はマイルの価値は色褪せないと考えています。

今、私が何を考え、マイルランテック2.0で何を表現しようとしているかは、今後の活動で見えてくると思います。われわれの価値は舞台照明分野だけにとどまらないのです。さまざまな形で、映像や照明、音響の世界に関わることがあり、これからの10年で舞台という自分の育った産業を飛び出し、まったく異なる世界で、新しいマイルが光を放ち始めるだろう。今はまさに夕暮れと夜のはざま。フェードチェンジの瞬間です。マイルランテックは、舞台照明の分野からは、少し距離を置いた働き方になると思いますが、新しい土地に新しいメンバーとともに、力強く進めるように成長を続けたいとおもいます。





2019年3月28日木曜日

Luminexとのお別れ

 
 すでに、タイトルの件に関して、お取引先各社様には、ご連絡を配信しているため、この話も拡散していることと思いますが、タイトル通り、マイルランテックはこのLuminexの事業から身を引く決断をしました。これは、決して楽な決断ではなく、苦渋の決断であります。

当社は、2007年に創業して以来、長いあいだ、Luminexブランドを支えてきたわけですが、とうとう決別のときがきたということです・・マイルランテックにとって、シンボルとも言えたLuminexブランドを手放すことは、長い付き合いの伴侶を失うかのような喪失感もあり、正直、自分としてもつらい決定にはなりましたが、今後の劇場や公共ホールの発展や照明業界に対し、しっかりとサポートを提供できる方々こそが、担うべきお仕事であり、その面で当社は力不足と言わざるをえない。というのが結論です

このように書くと、まるで死んでしまうかのようですが、私個人は引き続きLuminexJapanのシェアフォルダーとして、代表取締役としても、お仕事をしつつ、マイルランテックは新しい事業でしっかり、次のビジネスを展開していくつもりです。 今回の決定は単純にLuminex製品はLuminexに任せ、我々はわれわれの道を歩むというだけです。。私たちは、今マイルランテック2.0の最中にあり、それはまだまだ、これからの新しいビジネスです。。

 当社は、これからも、もっとユニークな会社として、また驚きと感動を提案できる会社になりたい。それはLuminexが手元から消えても、なくなることはない。常にわれわれは、新しい何かを発見し、つぎの時代のショーテクノロジーを追求してきました。
歩む道は見えている。4月になれば、新しいWEBサイトで、新しいマイルランテックを披露することができます。今後ともよろしくお願いします。


2019年1月13日日曜日

Modulo Kineticとショー制御 2019

 2019年 新年がスタートして早くも2週間が過ぎます。
来週には、毎年、恒例となった光和さんの内覧会への出展があり、そこではModulo Kineticを映像シミュレーションのコーナーに展示しつつ、当社ブースにおいては、ショーコントロールやパーティクルのジェネレートなどの展示を行います。ぜひ、興味のある方は、お立ち寄りいただければと思います。
 
https://www.kowanet.co.jp/privateshow/2019_invitation.php

Modulo 社には、似ているけれど、異なる製品が2つあり、そのうちの1つModulo Playerまでは、私も理解できる馴染みのメディアサーバー概念の中にありましたが、わたし自身が迷うほどにもう1つの製品であるModulo KIneticは新しい発想にあって、メディアサーバーという言葉が正しいかどうかも微妙な製品だと、先のスレッドでもそういう話を書きました。

 http://milecontrol.blogspot.com/2018/12/blog-post_16.html

私の育った環境である舞台の人と話をするとき、 メディアサーバーといえば、DMXコントロールのメディアサーバーであり、演出に合わせ、いくつものコンテンツをその場で重ねたり、動かしたりと、それは照明のゴボの延長にあるものが意識されます。今ではArkaosやGreenHippoなどスタンダードなものがいくつもあり、海外からくるツアーの人々が求めるものといえば、それら製品になるのだろうと思います。しかし、それは照明制御のメディアサーバーと言われるもので、舞台で求められるそれらメディアサーバーが、すべての産業で同様に活用されるかというとそうではないと今では言えます。

照明制御のつまり照明ゴボの延長にあるメディアサーバーの流れと、映像分野の映像プレイヤー的な側面をもつメディアサーバーは同じ言葉で表されるものの、異なる需要の異なる製品で、それが今では別々の分野を形成している状況が今と言えるでしょう。その分野が、ModuloPlayerの活用される現場であり、映像技術主体のLEDスクリーンへの映像送出やプロジェクターによるマッピング等の世界です。

これら2つの分野は、系譜はどうあれ、近似した製品の活用方法であり、5年位前までは、2つの分野の製品が両方の分野で活用されるケースもあったと思うのですが、今ではそれらが完全に分かれて存在していると感じます。15年前、私はこの2つの分野が1つの新しい世界(業界)を生み出し、MediaSeverと言えば、照明と映像と両方の業界で共通のものが使われるイメージをもっていました。が、しかしそれらは完全に分離して異なる業界が異なる機能を製品に求め、それらに特化した製品がおのおのの分野に存在している。

そして今、Modulo KIneticのような製品は、上述している2つの分野とも異なる第3の分野として誕生しつつあり、これらはショーコントロール機能をも包括し、ステージ機構や映像、照明などの同期演出のプラットホームとして機能する。それが純粋なメディアプレイヤーかと言えば、そうとはいいがたい。

何がこれまでと画期的に特異かと言われれば、私はメディアコンテンツを使わないパーティクル等のリアルタイムジェネレートが、もっともこれまでのメディアサーバーと異なる世界だと思う。こうした製品はこれまでのフレームワークを壊し、新しい価値を与えるものであり、20年前のメディアサーバー誕生時と同様に一部の人の間で、拒否反応がでることもあるとは思いますが、この分野がすでにこの業界に浸透してきており、避けて通ることができないものであることも確かです。もはや、この手の製品に、これまでのメディアサーバーという枠組み、イメージは古すぎると思う。次世代の映像演出であり、そのプラットホームはIT技術をベースに、非常に異なる分野が融合したものになった。



2018年12月27日木曜日

熱狂のうずの中で終りを告げる遠い過去にみた未来

 毎年、ブログで自分の思い、みたいなことを語ってきて、誰も興味を持たないのに、無駄なことをしている意識はあるのですが、しつこく、ブログを書くのは、自分にとっての心の整理のような行為なのだと感じています。今日も2018年の終わりに感じることを書いてみます。

改めて思うに、今年、当社としては、さまざまな試みが一区切りを迎えた年でした。12年続けた当社の業務が転換点を迎えていると思うのは、LuminexJapanというべつの会社をつくったことだけでなく、新しい演出手法がITテクノロジーにより、いとも簡単に実現し、これまで舞台においては、コンピューターテクノロジーなど別世界だったものが、いまやプラットホームとも言える環境になり、この流れは不可逆だろうなと感じるゆえです。

12年前、トータルショーコントロールという概念や需要も希薄だったその頃、私が追い求めたのは、ネットワークベースのショー演出制御システムの構築と、異なる要素を同期させることで得られるユニークな演出という夢だったわけですが、それらは今となっては、当たり前になり、センサーをつかった照明と映像の演出など、もはやそこに驚きは、ありません。そして、それを実現するソフトウェアのクリエイターが、そこかしこで活躍しているのです。

いつも驚きと感動を伴う技術やメソッドは、静けさの中から人知れず生まれ、今の自分の周辺同様、熱狂の中でその最後を終えるものです。12年前に描いた夢や世界観は、すでに自分の中では、暑い夏の陽炎のごとく、消えうせたと感じていて、なにより以前から不安をもっていたIT産業との完全なるリンク。舞台演出の世界をそこに働く人の力で守り、IT技術を自らコントロールすべき、と考えたあの頃、その抗いには儚く敗れ、今や目の前に濁流がたけ狂う急流に落ちた心境です。

ネットワークインフラは必要不可欠な存在

今では誰でも意識できることの一つに、演出世界の通信の基幹インフラはすべてIPネットワークになり、ネットワークインフラを否定することなど、この先、照明も映像も音響の誰もが無理だと感じることでしょう。しかし、このネットワーク技術の未来は、IT業界のレールの上にある。これを受け入れた時点で、われわれの産業はIT技術の上の存在の1つになり、プラットホームがITになったという意味なのだと思う。これは、こちらでハンドリングできるものではなく、IT産業の力が大きく関わってくる。

このITという表現に難癖つける人が出てくるので、ITの定義について確認しておくと、
情報通信技術という点だけでなく、広義のコンピューターテクノロジーを含む表現です。
舞台演出産業から誕生した技術ではなく、あちら側の技術であり、その進化はコンピューター産業の進化にぴったりシンクしていく。その速度がドッグイヤーと言われるのは、誰もが知っている事実。このような速度で進化する技術をベースにした我々の産業は今、これまでのようにネットワーク技術に長けた人が必要なく、自分たちで管理できると言える時間もつかの間で、エッジスイッチの管理すらもやがて、IT技術を持つ人に管理される時代がくるのだろう。またはこの業界に特別なセクションをもうけるか、または ネットワークインフラエンジニアの業界から演出分野のインフラを担う業界を構築するか。

いずれにせよ、これから舞台照明のノードなども、CAT6aを使うIGb/sのネットワークになり、より厳しい施工管理が求められ、バックボーンが10Gの時代がくると、もう目の前ですが。。 10年前の牧歌的なネットワークインフラとは大きくその役割や理解すべき技術のレベルが変わるでしょう。やがてクローズドな舞台のネットワークも外部のネットワークにつながり、プロのITエンジニアに管理される時代が来てしまう。われわれの仕事から、インフラ管理の仕事は、切り離されていくのだろうというのが私の想像です。以前は、この分野に関して、大きな障壁があって外の世界と隔離されたイメージをもっていた私ですが、いつのまにか、その壁はなくなり、気づかず、この業界に外の世界を呼び込むことになってしまっている気がするのです。





2018年12月16日日曜日

テクノロジーアートとステージ 異なる価値観の中で揺れる

 本当に久しぶりの投稿である。つい先日、フランスから帰ってきた今、向こうで感じた今の演出技術の進化について、久しぶりに、自分が感じている今を書いてみたいと思うようになった。きっとそれは自分があまりにこの世界から距離を置いていた反動でもあり、自分自身、これまで書いてきたブログ内容を整理したい欲求に駆られた結果でもある。ここで書く内容は、もちろんわたしの主観で書かれており、これが正しいとは証明する術はない。単に参考までに記録しておきたい。

さて、毎度の説明になるが、当社は、すでに10年以上前から、Catalyst MediaServerという製品を使ってステージ産業に誕生するだろう新しい映像分野を予見し、その分野は照明ともつながり、新たな境界を誕生させるだろうと想像していた。当時はプロジェクションライティングと表現したと思う

 https://www.rittor-music.co.jp/product/detail/3110217303/

加えて、そこから派生する制御という異なる分野をつなぐ役割としての存在もやがてはクローズアップされると予見した。故にショーコントロールという制御分野でも、さまざまな技術を提供し、プログラミング等のサポートを提供しようと努力し続けきた。それが当社にとっては、Medialon製品だった。あれから10年が経過して、おぼろげながら今、形成されつつある新たなトレンドの形が見えてきた。それは自分が考えたものとは大きく異なるもので、ショーコントロールというシステムや概念も過去へと追いやられ、メディアサーバーという存在もまた再定義される時代が来ているのを強く感じる。しかし間違いなくステージビジュアルを構成するさまざまなエレメントは互いにつながりあうことを求めているのである。

スタンダードなメディアサーバーのイメージは過去のもの

 入社する社員には伝えているが、当社の社名はMotion Image & Lighting control Environment から名付けた。照明と映像が重なり合う世界のイメージだった。しかし、多くの人はこの意味をあまり深く捉えることはなく、単に過去の栄光を自慢するおじさんの戯言のように聞く耳をもたない。しかし今もこの概念は生きているし、今後も照明技術と映像技術は引き寄せあうとともに、新たな世界を誕生させつつあるが、そのハンドリングについて、ステージ産業外から大きな波が押し寄せ、当初、私が考えた世界観とは大きな隔たりを見せているのはたしかである。

照明業界の人が映像について意識するとき、それらは常にDMX制御を主体とした視点に立つ。例えばピクセルマッピング、映像サーバーと照明コンソールの一体化など、まるで2000年前半の過去の幻影に囚われた思考に陥るのは、舞台演出に使うMediaServer製品が一定の地位を築き、すでに確立されたジャンルとして認識されているからだろう。それはそれで、メディアサーバーが20年の時を経て、1つの形に完成した結果でもあるのだが、今、ここで論じる新たなトレンドからは程遠い昔話である

プロジェクションマッピングという言葉で、狂乱した一時の映像演出も主役はコンテンツ制作者であり、それが今後の主流になるわけでもない。よく聞かれる4Kとか8K、10ビット色深度、この際、画質やレゾリューションなどのささいな比較材料については、もはやどうでもよい。やがて時間が解決するだろう。今、意識しなければならないことは、異なる仕組みとの連携であり、リアルタイム性、本来は制作されたメディアであったはずの映像コンテンツをソフトウェアでリアルタイムにジェネレートする仕組みが出来上がり、これらを誰が使いこなし、コントロールするのか?である。

今、メディアサーバーの新しい世界観は、ITとアートの世界を巻き込み、再定義されつつある。まるで、グラフィックデザインとテクノロジーの融合とも言える世界がそれで、彼らは、コンピューティングテクノロジーの産業を巻き込み、イベント映像産業に進出してきた。さらには、この流れがやがて舞台演出、TVなどのすべての分野に波及するだろうことは、想像に難くない。しかしそれはもはやステージ・イベント産業がそれを受け入れた時点で不可逆的で、定められた運命のようなものだ。

今や映像業界も、照明業界も皆が、トラッキング、シミュレーション、こうした新しい演出に高い関心を寄せている。仮想化世界、センサートラッキング、パーティクル生成、リアルタイムライブエフエクト、モーショントラッキング、これらすべては、1つにつながり、映像技術とIT技術が一体となる世界が今そこにあり、しかもこの分野の多くはアートインスタレーション、クリエイター産業の人が主導権を握り、ステージ演出に組み込んでいる。

いや、この手のテクノロジーを一からステージ産業で学ぶにはあまりにかけ離れすぎた技術になりつつある。この技術や手法が一般化していく過程で、その進化速度は驚異的なものになるだろう。もはやこれまでの演出技術の世界観とはまったく異なるソフトウェアによるすべてのエレメントの制御。この分野では、 ショーコントロールさえも、制御製品は過去へと追いやられ、メディアサーバーを主体としたソフトウェアによりその存在を否定されるだろう。

映像コンテンツという いわばクリエイターによる作品や、最近急増したIT技術とアートを組み合わせるテクノロジーアートとも言われる彼らの世界観は、舞台という古くから存在する価値観と混ざり合うことがないし、それは特別な世界のものだろうと考えていたが、どうやら、そうでもないようだ。今後のプロダクションの核は、映像とステージ機構と照明の連携であり、つなぐ技術はIT分野のもので、演出をデザインする人々は、複雑なプログラムをシミュレーションで確認しながらグラフィックアートをそのタイムライン上でリアルタイムにジェネレートするだろう。

その主役はクリエイターになるのだろうか?それとも、今以上に、テクニカルセクションが細分化されるのか?とすれば、私たちがメディアサーバーと呼んでいたこの装置やソフトは、その言葉以上の存在になっており、もはやなんと呼べばいいのか不明である。それほどに、私が経験した20年とは比較にならない新しさを、先週の体験であるModuloKineticは秘めていた。もうメディアサーバーの違いを騒いでいる場合ではない。それらを選んでも使いこなすこと自体、非常に幅広く高いレベルの知識とセンスを要求される時代になった。そしてそれを理解し、操ることのできる人を有する産業がすぐ近くにいる。これを脅威ととるか、無視して今、目の前にある仕事だけに集中するのか?いずれにせよ、さまざまな技術が混ざり合うことは不可避である。



2018年4月15日日曜日

Game Change

 テクノロジーは時に、既存の仕組みやパワーバランスを大きく覆すことがあり、そういうシチュエーションをゲームチェンジと呼んだりします。
既存の仕組みや常識が覆されるとき、それは本当にエキサイティングで、だからこそ技術の進化というのは追い続けないといけないものだと思います。

確かに、当社で扱う製品は制御と通信に特化したものしかなく、一見すると非常に地味です。しかし、すべてショー制御に重要なものばかりで、技術進化も早い分野です。
先週のProLight soundという展示会で、LumenRadioがメッシュトロポロジーの通信を可能とする製品を開発しました。

 https://lumenradio.com/moonlite/

この製品を照明デバイスにつなぐことで、DMXワイヤレス通信を中継することが可能となり、電波の届きにくい場所へ通信をホップすることが可能となります。同時にこの製品は、ブルートゥースによるモバイルフォンなどからのDMXテストなども可能となります。非常にユニークな製品で、今年後半のリリースになりますが、これに伴い、来年には現在のLumenRadioデバイスも中継機能を備えることになり、マルチホップが可能になります。つまりLumenRadio製品の通信接続環境は、さらに強固になり安定性が増すということです。これによってこれまでのワイヤレスに対する概念が大きく変わる可能性が高いです。

ワイヤレスに不安があった時代が過去になり、ワイヤレスDMXのゲームチェンジャーになるかもしれません。今年後半と来年のリリースに期待ですね。

第2創業




 もう空気は春から初夏へむけて変わりつつある4月。気持ちは早くも来年のことを考えている自分がいて、11期の締めくくりに、採用活動を本格化させようとしています。
まさに第2創業というタイミングです。

仕事に対する考え方も、会社と自分の関係もまた大きく変化している実感があり、加えて業界の変化の波も強く感じられる今、マイルランテックのイノベーション魂もまた強く燃え始めています。きっと会社にも、業界にも大きな変化がくるでしょう。この大波を乗り切る覚悟が必要なのです。

新しいメンバーの募集は、私が多くの仕事を若手に任せている以上、今のメンバーとマッチする世代がいいだろうし、変革に対して付き合ってくれる人がいいと思っています。変化への対応能力は、年齢に依存しないと思うんですが、思考の柔軟性はやはり若い世代の特徴であって、大きな可能性を感じるゆえに、どうしても自分よりも若く優秀な人を選んでしまします。若い会社だからこそ、若い世代を集め、次の時代にアジャストできる会社になりたいというのが私の考えです。まだまだマイルランテックは変化を続け、新しい価値を提供し続け、業界の発展と劇場の未来に貢献できると信じています。





2018年1月7日日曜日

改革の難しさ

 2018年になりました。遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
マイルランテックは多くの方々にお世話になりながら、今11期の後半へと入りました。
本年も何卒、よろしくお願いします。

私は、よく早歩きで、いつも前かがみに前進していると言われます。また、いつも焦りすぎ、早すぎる。それは残された時間の短さに対する焦燥感からくるのか?単に短気なだけなのか?当人もわかりませんが、確実に言えることは、本当にあっという間に時間は過ぎ去り、起こった事象はそのままに、ただその変化の先頭に立ち、現実を認め、次の改革を進めるだけです。ふう、ため息がでます。

このブログでも、当社の改革宣言をしてすでに3年が経ちましたが、当時の焦りは、この業界の構造変化です。まだすぐには来ないとは思いますが、3年前から私は大きな構造変化が来ると感じています。詳しくはまた、そのうちに書きましょう。そんな想いだからこそでしょう、 2014年の記事を読み返すと、いかに自分が改革を求め、その実現にむけて意欲を示していたかがわかります。社員の多くは、理解できなかったようですが、危機はそこに未だあると思います。

http://milecontrol.blogspot.jp/2014/12/7.html 

この3年は、さまざまな改革を目指し、また輸入代理店業というビジネスの終わりを感じ、業態変更や新たな何かを見つけようと、もがき苦しんだ3年間でした。自分でその改革について、完了宣言をだしたにもかかわらず、結果は惨憺たるものです。いかに変化するのが難しく、イノベーションという言葉が重いかを実感するとともに、今頃になって会社の運営が極めて難しいことを思い知ります。

社長には優しさがない、創業社長に振り回される、感情的、やっていること、言うことがころころ変わると言われますが、当社に一番長く在籍している社員は、私の主張があまりに首尾一貫していて、逆に驚くと言います。それはつまり私の主張は、10年前からさほど変わってないことを証明しています。

確かに、昨日今日入社した人には、これまでの経緯も、それに対し私がどう対応し、何を焦り、さまざまなストレスに苦しんだかは、理解しようがないのです。数年が経ち、私の考えることが大きなリスクとして健在化する時、私が発した警鐘は忘れ去られるにちがいないけれど、大企業ではなく、中小企業だからこそ、頭をひねり、どうすれば継続して価値を提供し続けられるかを深く考えねばならないし、そのための現実的行動も必要なんです。拙速と言われようとです。

そのための改革が2014年にスタートし、 2016年には完成したはずだったけれど、その多くの試みは泡となって飛散し、今の私はスタート地点にもどったような印象です。結局、誰かに想いを託すとか、誰かを育て、彼らにすべての仕事を任せることなど不可能で、また自分の求める理想のパートナーなどは存在しないし、自分のやれることを粛々と皆と協力してやっていくしかないのだろうとも思います。また再度、改革の機運が高まるかどうかですが、しばらくは、自分に与えられた役目をしっかり担い、あまり先急がないよう、今の仕事に専念したいと思います。しかしながら、この3年間で費やした費用は、その結果に対してあきらかに失敗でした。それをしっかり事実として受け止めねばならないと感じています。 本当に人の採用ほど難しいものはない。



2017年11月19日日曜日

モチベーションと情熱と、熱い言葉の強い相関関係への思い

 









 2017年のInterBEEが終わりました。
残念だったのは、私自身が、Luminexのブースに張り付いており、マイルランテックのブースに、全く立ち会えなかった事。。しかし、今や私抜きでマイルランテックが成立していることを、来場した方々は、実感いただけたかもしれません。

2008年、この展示会に一人で出展した時、初めてこの世界の一員になれたことに感動し、心震わした頃から、この展示会は大事な展示会であり、ここに出展できることのありがたさを感じていました。操業して以降、うちの社員にも、その事を共感して欲しくて、強く訴え続けたように思います。これまで、本当に自分なりに、お金がないなりに、工夫して続けてきた事。

社長の指示に、盲目的に従うのでなく、また昨年と同じ内容で展示をするのではなく、自ら頭を使うこと、考えること、工夫することの尊さ。それを伝え続けて、今、まさにようやく、それが実現したと思えるのは、この展示会について、2年続けて若い社員だけで企画し、社員だけで演出し、社員だけで営業をしたのは、紛れもない事実であり、その努力は、確実に実っていると言えるのです。これで、もしかしたら私は本当に過去の呪縛から解放されるかもしれない。一方通行の片思いによるストレスという呪縛

正直、私は熱いタイプの社長であり、時に鬱陶しいと感じられるかもしれない。そして、強いメッセージを社員に投げつけるし、それに呼応する社員が好きです。熱いメッセージを投げて、返ってこない、強いやる気が見えない人の場合、つい相手にするのを諦めてしまう。多分、ふてくされてしまう。間違いなく、面倒な社長だ。技術だけでなく、事務の仕事にも、同じような熱を求めてしまう。

でも、マイルの仕事の場合、感動するような情熱は大事だと思うし、情熱がなければ、このエンターテイメントに関する仕事は続かないと信じているんです。自分は会社の社長だけでなく、オーナーであり、自分が自分の会社で理想を追いかけて何が悪いだろう。自分の嫌いなタイプを集めて、お金だけを目的にする会社なんて、続ける意味なんてない。

自分が熱い思いを持たないで、人を感動させられるわけないじゃない? 熱い思いで、働いてるから、仕事が楽しいし、皆と仲間意識を共有できるんじゃないか?そうでしょう?そういうのが苦手の人もいるかもしれないが、そういう人は、あっさりした会社に転職した方がいい。情熱なんて必要ない、お金を稼ぐだけでいいという会社に。。そういう人は、絶対、うちには合わない。

熱いメッセージを受けて、強い思いで、仕事に関わってほしい。自分の頭を使い、考え、意見を出し合い、その中から感動を顧客に提案して、共感してもらって商品を買ってもらえたらいい。これはマイルランテックという会社の理想であり、社員には情熱、探求、洞察力を求めたいと今でも思うんです。

ただ、何度も頭で理解し、声に出すように、皆がそういうタイプじゃないこともわかるし、共感できない人も多数いる。だからこそ、自分は同じ感性の人を見つけるまで採用を続けるし、そうでない人には、会社を去ってもらった方が、お互いのためだということを訴えてきた。これから10年のうちに、また人は入れ替わるだろう。事実、この7年の間にも、人は数多く入れ替わった。いかに社員を採用することが難しいか、そしてその中からリーダーや右腕を見つけ、育てることが困難かを実感します。

私は、皆が一丸となって努力をするチームのような会社が好きです。そういう熱量のある会社で仕事がしたいと思う。しつこく熱いとよく言われるが、熱い言葉は、人の心に沁み入り、やがて時を経て、新しい熱を帯びて、また、別の人に伝わる。そしてそれが会社を動かす原動力になる。熱い思いと言葉と結果には相関関係があると信じる。

2017年11月7日火曜日

変化する指標

 

 歳を重ねた今だからだろうか?幼い記憶が、時折鮮やかに蘇ることがある。まだ私が幼い頃だった。人里離れた山へ遠足に行った記憶。よくある冒険とか探検という子供が憧れる類のものだ。当時、廃坑となった銅山の鉄道が街中に残っており、これをつたい、簡単に山深く入ることができた。まるで映画のスタンドバイミーのような体験だった。

子供の足ではかなりの距離だったが、野イチゴを食べたり、家から持ってきたお弁当を食べたりしながら、延々と続く錆び付いた線路を歩き続け、気づいたら山の中に不自然な大きさでたたずむ廃駅にたどり着いた。構内は広く、数多くのレールがさらに山深く消えており、それらは未だ手つかずのままそこにあって、広いその敷地では、おそらく山から下りてきた荷物が仕分けされていたであろう形跡が見て取れた。記憶では駅というより1つの町に感じたほど広大で、古めかしいけれど立派な駅舎が立ち並び、窓から覗く内部には、当時でも、年代を感じさせる食器用洗剤、ポスター、食器類、時計、机や戸棚などの家具類が、そのまま当時の雰囲気と共に保存されており、まるで今にも時間を遡り、動き出しそうなほど。。。駅は静まり返り、まるでここだけ、時間が止まって、この空間だけを密封し、一瞬にして人が消えたかのような空気が漂っていた。

この大きな駅の跡地は、今思うと、その昔、興隆 を極めた日本を代表する住友鉱山の採掘場に関連して存在した駅であり、トロッコが終着するターミナル駅だと想像できる。ここから海へ向かう貨物列車が鉱石を運んでいたのだろう。線路の途中には数多くの銅鉱石が散乱しており、それら石を割るとブルーグリーンの美しい色彩を放つ銅鉱石が確認できた。なぜ、自分がそれを知っていたか、覚えていない。ただ、それは綺麗で、自分は銅の原石だと認識していた。そんな銅山の繁栄した時代の名残。

私がそこを訪れた時には、その駅を中心に存在した街は、ほとんど人も寄りつかない遺跡のような存在になっていた。今思うと昔は華やかであったろう1つの街が、山の中に忘れられたかのように残され、鉱山の採掘という仕事のトレンドが終わりを迎えた故に、置き去りにされ、忘れ去られたその街の悲哀を感じてしまう。

そんな広い駅構内を探検していた時、何気に、駅舎の間に横たわる線路に立ち、今、来た道を振り返ると、延々に続くレールの先に、もし列車に乗ったとすれば、眺めることができたであろう線路と平行して流れる渓谷がわずかに見えて、湾曲した線路の先が、遠く街へ続く車窓の景色をイメージさせたが、そのレールの先に、すでに未来がないことも知っていた。錆び付いたレールの上に枯葉が転がり、その先のフェンスと、ただ静寂に包まれた山間の風景が、ただ悠然とそこにあって、何かの終わりを見た気がした。

いつの時代も、華やかな時代は未来永劫には続かず、その鉱山の跡地も、すでに過去の形跡でしかなかった。いつの時代もトレンドは変化し続ける。ゆえに追いかけるべき指標もその姿を変え続けるのである。それを理解していれば、いつまでも同じ仕事で生きていけるわけもないことは明白である。変化しつづける意思が生存を決める。

今、成功しても、未来に失敗すれば意味がない。成功し続けなければ、やがて時の流れとともにそれらは古びていき、ノスタルジックな色彩をまといながら、風に吹かれて砂のように舞い散るだけなのだ。今ある常識は未来の常識ではない。我々は、常に新しい指標をみつけ、向かうべき方向を再認識すべきなのだ。しかし変革を続けることの困難さは、とてつもなく重くのしかかる。これまでの成功体験が自分自身を強く縛り、自分の置かれた環境が、新しい道へ向かうのを妨げるのだ。

しかし、時代が変わり、価値観が変わり、人が入れ替わる。こうした流れの中で、一人それに抗うことなどできはしない。過去に固執せず、これまでとは異なる視点で新しいことを始めなければ、美しい光彩を放つ鉱石とともに森深く埋もれて、やがて誰からも知られることなく、存在価値が失われるだけなのだ。

たとえ過去を捨ててでも、新しい道へ歩みを進めるしか生き残ることはできない。その先に暗雲が待ち受けているとしても、歩みを止めることはすなわち、自ら終わりを選択するというだけである。。ただ、シンプルに変化し続ける時代に対応するしかなく、追いかけるべき指標を見つけることしか、他に方法はない。今、自分はそういう選択とともに苦しみ、創業から10年を迎えた会社に、新たな価値を見つけようとしている